私は旅の目的地で雨に降られても気にならない。雨に濡れる見知らぬ土地は落ち着いた美しさがあると思うし、そこに知恵を生かして暮らす人々の姿はむしろ豊かに見える。なにより雨がもたらす水のない土地で生物が存在するのはほぼ困難で、雨は私たちが生きる自然環境そのものの形の一つだからだ。
そんな私は旅先で雨に遭遇する機会が多く、しばしば「雨男」などと揶揄されることもあるのだが、それは無意識に旅の目的地に多雨地域を選んでいることの結果かもしれない。
このトラベローグでは、滞在中しっとりと雨に濡れ、旅と天候についての思いを巡らせた、2019年夏のインド・ムンバイへの旅の記憶を振り返りたい。
インド南西部のケララ州、コーチン(コチ)から搭乗したIndiGoの機体がどんどん高度を下げている。目的地ムンバイのチャトラパティ・シヴァージー国際空港への到着は間もなくのようだ。
機窓には空港周辺の巨大なスラム街が小雨に濡れる光景が広がっている。ランディングが近づき、空港敷地外周のフェンスが手が届きそうな距離に見えてくるが、そのすぐ脇にも鮮やかなブルーシートに覆われた質素な住居がびっしりと並ぶ。私は再びムンバイにやってきた。
空港ターミナルは巨大だ。そして屋内でも空気は湿っている。利用者は多く、動線は長いが、施設が機能的に整備されていて迷うことはない。世界屈指の大都市の国際空港だからだろう、インド特有の無秩序な雑踏や猥雑さを感じさせない洗練された雰囲気も印象的だ。
到着ロビーを抜けてタクシースタンドに向かうと、乗り場がエアコン付きタクシーとエアコン無しのタクシーで別れている。普段の旅ならどちらを選ぶか少し考えるところだが、小雨の中、30度を超えるであろう気温と先ほどから全身を覆う湿気を思い、迷わずエアコン付きを選択した。
タクシーは市街中心部を経由し、ホテルのあるマリンドライブ地区に向かう。激しい降雨によるものか、各所で道路の路肩などが完全に水没し、それが渋滞を引き起こしている。わずか2泊だがムンバイに滞在するのは、明後日のANAの直行便で東京に戻る前に、少し都会の空気に慣れておこうと思ったからだ。
というのも、それまでの数週間はインド国内各地を彷徨っており、いわゆる都市生活からはかなり離れていた。旅の最後の時間を国際的な都会で過ごすことに、旅体験を段階的に(日本の)日常に戻すリハビリ効果があるような気がしたのだ。と、それは響きの良いもの言いであり、ただムンバイの裏道をぷらぷらと歩きたかった、という旅人の思いつきというのが実のところだ。
タクシーは、ムンバイ湾のアラビア海側を閉じるように架けられた海上高速道路バンドラ・ウォーリ・シーリンクを疾走している。視界を遮るほどの豪雨と強風にワイパーはほぼ機能していないが、寡黙なドライバーは躊躇なくアクセルを踏み続ける。期待したエアコンはさほど効いていない。
ムンバイはインド最大の経済都市。大都市圏の人口は2000万人を超え、現在のインドの成長エンジンの一つになっている。アラビア海に面する湾岸都市としてその歴史は紀元前にまで遡るというから、地理的な要衝としての存在感が想像できるだろう。街角に立つだけで、ここに生きる多様な人々と都市の濃厚なエネルギーを感じるのは、昔も今も変わらないはずだ。
都市名「ムンバイ」は現地のマラーティー語をベースにした英語名称で、1995年に当時の政権が旧名称「ボンベイ」から公式に改称した。その政権というのがかなり右寄りとされる政党であったことから、名称をかつての「ボンベイ」に戻すことを主張する動きが今もあるそうだ。今回の旅でも、「政府が勝手に変えたものに盲目的に従う必要はない」といってボンベイという都市名を使っていたインド人に出会ったことを思い出す。ちなみにムンバイの国際空港のスリーレターコードは現在も、旧都市名から付けられたと考えられる「BOM」である。
湿度100%のホテル
タクシーがマリンドライブのホテルに到着した。インドの伝統的な衣装を纏ったドアマンが、私のために大きな傘を差し出しながら、タクシーのドアを開けてくれる。そのごく自然な仕草に、この地では豪雨の中でゲストを迎えることも日常的にあるのだろうと思った。
部屋に入って言葉を失う。室内の鏡、ガラス、窓がすべて結露し、さらには木製のフローリングもしっとりを通り越して濡れているようなのだ。まるでホースで水を撒いたあと、あるいは大雑把な水拭きクリーニング直後の乾燥前のような状態。信じられない思いでフロントに部屋を変えてもらうよう伝えるが、それは気候に起因するもので、どの部屋も大きな変わりはないと諭された。
ここが比較的クラシカルながらもそれなりのグレードのホテルであることや、空港到着から今も止むことのない豪雨から、「そういうものか」となんとか自分を納得させるが、ベッドの寝具もしっとり重く水分を含んでいることにかなり戸惑った。乾燥に強くない私の喉にとっては、普段はある程度の湿度はむしろ喜ばしいことなのだが、ここまでの湿気となると話は別である。
息をするだけで溺れそうな気分になるのは不快なだけでなく、恐怖に近い。ハッと思いついてエアコンの除湿・冷房機能をフル稼働させてみると、しばらくして、極端な湿気はやや収まり、ようやくなんとかここで過ごせるような気がしてきた。とりあえずエアコンがこのまま働き続けてくれることを願うばかりである。
雨が小降りになってきたので、気分を変えてホテル周辺を歩いてみることにした。どうせ湿気があるなら、フレッシュエアを吸いたい。夕刻の海岸道路マリンドライブに出かけると、パラパラと降る雨はほぼ止んでいるが、逆に風は強まっていた。眼前のアラビア海に垂れ込む雲にはわずかな切れ目があり、かすかに夕焼けとなっている。弓形に数km続く堤防の上には限りない数の人たちが隙間なく座り、三々五々、話したり、はっきりとは見えない夕日を眺めたり、スマホを弄ったりしていた。
こんな荒天なのだから家にいたほうがいいのではないか、と思う。家の中にいたくない理由が何かあるのだろうか。狭さや家族の人数とか―、あるいは小雨でもこうして夕刻は屋外にいることが習慣なのか―、などと思いつつ、 「ああ、家の中にも(あのホテルの部屋と同じような)強烈な湿気があるからかもしれない」 と苦笑いした。人間の行動は基本的に皆、同じだということか。
ゆっくりと夕闇が迫ってくるものの、海岸沿の人たちは去ることもなく、変わらずそれぞれの時間を過ごしている。周囲は商業地域で、飲食店などにも照明がつき賑わいを見せている。まるで多くのローカルの人たちが「悪天候は私たちにはあまり関係ない」と決意しているようにも思えた。
あらためてムンバイの気候を調べてみると、インド西部の海沿いはモンスーンの影響を強く受ける熱帯性の高温多湿が特徴とのこと。通年の平均最高気温は30度、最低が20度前後で、乾季と雨季がはっきりと分かれている。
6月から9月が雨季で、この4か月に1年の雨のほとんどが降る。ムンバイの年間降水量は約2200mmなので、とてつもない量の雨が集中的に降るとある。近年、1日に約1000mmの雨が降った記録があるほどで、まさに「バケツをひっくり返したような」激烈な豪雨が1日中続き、当然ながら川の氾濫や洪水も頻繁に起こる。
一方、10月から5月の乾季には雨がほとんど降らず、カラっと暑い乾季が続く。12月~2月ごろには最低気温が15度前後にまで下がり、朝晩はひんやりと感じることもあるらしい。乾季の中でも4月~5月は1年で最も気温が高くなる。その時期は「暑季」と呼ばれ、最高気温が40度近くになることも。よく言われる「灼熱のインド」の気候がこの暑季だろう。
再び降り出した雨を眺めながら、「ああ、今(8月初旬)はその雨季の真っ只中じゃないか」と思った。そういえばインド滞在中に見たニュースで、豪雨によりムンバイの空港で旅客機がオーバーランする事故などが報じられていたし、ケララ州でも水害からの大規模な集団避難が進められていることが伝えられていた。そもそもの超多雨地域に、世界的な気候変動の影響が及んでいる。
日が変わり窓の外を見ると、小雨だった。今回のムンバイ滞在は2泊。歩き回るのは実質的には今日1日しかないので、さっそく出かけることにした。この雨季において、雨がノーマルライフの一部なのは昨日実感したばかり。小雨など、好天とみなすべきなのかもしれない。
ホテル近くのチャーチゲート鉄道駅付近で、都市勤務者に自家製の弁当をデリバリーする「ダッバワーラー」の働きぶりを見た。市内外にある各家庭から弁当を集めてそれぞれの職場まで届け、食べ終わった弁当箱を回収するサービスで、ムンバイでは1890年代から130年以上続いている。インドの人々は宗教などの理由から食べ物の制約や嗜好が多様で、ランチも自家製であることが重要だそうだ。
弁当箱は「ダバ」と呼ばれる。主にアルミ製の段重ねのようなランチボックスで、ダッパワーラーはそれらを組織的に家庭から集め、鉄道などで運び、チャーチゲート駅付近などで市中心部の行き先エリア別に整理し、その先は自転車や徒歩で各オフィスに配達する。利用者は1か月に200ルピー(約300円)のコストで、毎日、家庭の味をランチとしてオフィスで食べられる。一説によると現在、のべ17万5000人ものダッバワーラーがムンバイで働いており、誤配達の確率は600万回に1回以下、だそうだ。
駅へ行くと、到着する列車から大量のダバを担いだダッバワーラーが旅客をかきわけて仕分け場所に向かう姿を見かける。仕分け場所ではダバが配達先ごとにまとめられている。ダッバワーラーの働きぶりは皆、実直な印象で、誤配達がほぼゼロということにも納得だ。仕事への真摯な取り組みとプライドがあるのだろう。ダバにはよく似た形をしているものもあるので、一つひとつには特別なマーキングが付けられ、ダッバワーラーがどれをどの駅で降ろすか、どのオフィスへ持って行くのかがすぐに分かるようになっている。
日本の宅配サービスの当日デリバリーなどが高度なITトラッキングシステムを使って、商品を高効率に運んでいることに感心していたが、ムンバイで130年以上前から同様のサービスが人力で確立していたとは―。
ちなみに各家庭でのピックアップは9時半ごろで、14時半ごろに回収される空のダバは配達と逆ルートで運ばれ、15時半から17時に各家庭に戻るという。
この日も小雨にも関わらず、ダバのデリバリーが着実に敢行されていた。ダッバワーラーは少々の雨に濡れても怯むことはなく、むしろダバを濡らさないように腐心していた。ここでもやはり雨のような悪天候が、雨季のノーマルな日常に織り込まれている印象だ。ダッバワーラーたちを見ていて、都市の歴史と人々の暮らしの知恵に圧倒された気分になった。
ローカル鉄道で数駅北にあるマハラクシュミ駅に向かった。ここにはドービィガートと呼ばれる巨大な屋外洗濯場がある。ドービィはヒンディー語でそのまま「洗濯人」を意味するそうだ。エリア内では多くの人たちが昔ながらの揉む、擦る、叩く、絞るなどの方法でさまざまな布地を洗っている。現在は脱水機などの機械も導入されているが、伝統的にほぼ全て人力でムンバイ中から集められた洗濯物をここに集め、洗い、乾かして、畳んで、宅配している。
ドービィガートを見渡せる陸橋からエリア全体を眺めると、コンクリート製で格子状に並ぶ大きな洗濯槽や働く人たちの住まいも兼ねているであろう簡素な建物、その上にある物干し場が見える。今日は雨なので、洗濯槽や物干場の上にはブルーシートが張られ、作業が行われていた。エリアの中には飲食店などもあるから、このエリアそのものが一つの街なのだ。
ダッバワーラーといいドービィガートといい、巨大都市なりの組織化された高度なサービスが(ほぼ)人力のみで、遥か昔から確立されていたことに驚きを隠せない。これらは、いずれも私たちが最先端だと思い込んでいる現代社会の都市サービスの原型と言えるのだろう。
ドービィガートから歩いて、ドクター・バウ・ダージ・ラッド博物館に向かった。グーグルマップによると2km弱、歩いて25分の距離である。車なら10分もかからない距離なのだが、街の様子や人々の暮らしを間近に見たい私は当然、歩き始める。が、雨脚が急に強くなってきた。それでもくじけずに歩き続けたものの、だんだんと例の「バケツをひっくり返したような」豪雨になってきた。
バス停らしきコンクリート製の東屋で雨宿りしていると、数人のローカルも駆け込んできた。皆、激しい雨を眺めながら、無言の時間を過ごす。会話はないが、雨が弱まることを願う気持ちは共通である。こんな時は私が外国人であることは関係なく、互いに雨が吹き付けないこっちにもっと寄れ、というような共助の行動が自然にできるようなってくる。
道路を走る車も減るほどの豪雨は止まないが、それでも疾走するバイクや雨を気にしない子供たちもいる。雨宿りする人たちもそれぞれの事情があるだろう。雨が止まない中、待ちきれずにそれぞれ飛び出すタイミングがばらばらで面白い。博物館まではまだ500mほどあるようだ。この距離を横殴りの雨の中進むとどれほど濡れるかが分からない。雨脚がもう少し弱まるのを待とうと思う。自然とはうまく付き合うが、決して逆らわない、そんなことをだんだんと会得してきているように思う。
雨を見ながら、そういえば私は「雨男」と呼ばれることが多いことを思い出した。オーストラリアのウルルで極乾季のゲリラ豪雨にも、カンボジアのプノンペンの市場の水没にも遭遇したことがある。連日ずっと晴天だというのに、私が参加するイベントのある当日だけ激しい雨が降り続いたことなど何度もある。
そもそも雨は嫌いではない。落ち着くし、樹木や都市はとても美しく見える。雨が降るからそこに人が住んでいるのだと思っている。むしろ、中央アジアで2週間以上続いたほぼ完全な「日本晴れ」の日々は、途中からなぜか言葉にならない不安を感じたほどだ。
とはいえさすがに「雨男」などあまりに非科学的で、周囲にそう揶揄されることに疲れることもある。それは「単に旅先で雨に遭遇した記憶が印象的なだけ」「荒天を厭わないので結果的に多雨地域への旅が多いため」、などと雨遭遇が多い理由を自分なりに考えつつ、「本当にそんな雨を引き寄せる能力(?)があるのなら、世界各地で雨乞いの仕事をしたいものだ」と思っているのである。
しかし先日、キノコや微生物が雨を降らせている可能性が学術的に研究されていることを知った。それは「バイオエアゾル」と呼ばれ、キノコの胞子や微生物が空気中に舞い上がり、それらが上空で水滴の核となり雨を降らせる。なぜならキノコが生育するには雨が必要だからキノコ自体が雨を降らせている―。これが証明されれば、私自身がキノコのように胞子を発生させ、行く先々で雨を降らせていた可能性もなくはないのか。真相は今後のバイオエアゾル研究の結果を待ちたいところだ(笑)。
そんなどうでもいいことを考えていると、雨脚が弱まってきた。周りの雨宿り仲間と軽く目で挨拶をし、博物館までの歩道を進むことにした。
ドクター・バウ・ダージ・ラッド博物館は、旧名をヴィクトリア&アルバート博物館といい、ロンドンにある同名の博物館を模して、民間の寄付により1872年にオープンした。地図や写真、模型、工芸品などの展示で、ムンバイの重厚な歴史と文化の一端に触れることができる。中でも、パールスィーの鳥葬場「沈黙の塔」のレプリカが印象深い。ゾロアスター教の鳥葬の施設で、実際にムンバイにあるものを模したものだ。鳥葬場は現在では衛生や環境にかかる条件や野生のハゲタカの減少などでそのあり方が変化しているが、元来はもっとも環境への負荷が低い、衛生的で合理的な葬法であったそうだ。自然と共に生きる人類の知恵である。
続いてタクシーでチャトラパティ・シヴァージー・ターミナル駅に向かう。年配のドライバーに旧名の「ヴィクトリア・ターミナル」へと伝えると、「お、その名、知ってるのか。いい響きだ」と微笑む。世界遺産にも登録される歴史的建造物を持つ鉄道駅で、名称は1996年にインドにおける改名論議(ボンベイからムンバイへの変更と同じ動き)により変更された。
イギリス植民地時代の名称をインド独自のものに、という考えだが、歴史ある旧名が良い、と考える人々も多いということだろう。
ターミナルの建物は世界遺産だが、駅自体は現役の巨大鉄道ターミナル。ここにムンバイと国内各地を結ぶ長距離列車が発着する。駅構内にはおびただしい数の人がいる。列車の発着も多く、人の移動と都市の活気が感じられる。靴磨きのスタンドや、販売店、無料の飲料水の蛇口なども備えられ、どこも多くの人で賑わっていた。終着駅の風情は、旅心に沁みる。駅を出ると雨は小降りになっていた。
ホテルに向かってぷらぷらと歩いていると、屋外の本屋に遭遇した。大木の下に本を並べた野外店舗なのだが、商品を濡らさないように巨大なブルーシートが張られている。そしてそこでは立ち読みする人も、購入する人も多くいる。やはりここでも「雨には逆らわず、共に生きる」、そんな考えが自然に実践されているように思えた。
有名な観光地にはほとんど寄らず、ただ思いつくままに歩き回ったムンバイ中心部だったが、本来の目的である「都会生活へのリハビリ」よりも、「雨と共に生きる街を堪能した」気分だ。今日はずっと雨が降っていた。止む気配のない雨粒と低い雲が絶えず視界にあったが、どこもとても美しい光景だった。人々は雨が降っていてもそれをあまり気にしていないようでもあった。雨は自然の一部、降って当たり前。そもそも「晴れが良いことだと誰が決めた」と言わんばかりに。それは大都会でありながら自然と共に生きる人々の暮らしと文化であったのだろう。
旅先で雨に遭遇して、移動が面倒、写真が撮れない、インスタで感動した景色が見られないと落胆するのは、旅人としてあまりに一面的だ。風を感じ、雨に濡れ、その後に太陽の光を浴びること、つまり天候の中に身を置き、それを感じることこそが旅の根源的な形ではないのか。そんなことを考えながらホテルに戻った。いつの間にか、インド滞在最後の夜の部屋の湿度が少々高くても別に構わないと思えていることが、少し嬉しかった。
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