タタルスタン共和国と聞いて、「どこ、それ?」と思うのは、旅慣れた人の中でも少数派ではないだろう。かくいう私もその一人であった。

モスクワからおよそ800キロメートル東に位置する、民族自治の共和国。ロシア連邦において「第3の首都」とされながら、住民の半数以上はイスラム教徒のタタール人で、タタール語を話す。歴史的に「文明の十字路」とされた土地であり、現在のロシア連邦における多民族・多宗教の平和共存を象徴する場所でもある。

その説明はどれも濃厚で、すぐには理解しがたいことばかりだ。しかし、見知らぬ土地ならば、実際に出かけてこの目で確かめてみたい。そんな無知で身勝手な旅人の好奇心に導かれ、現地へ向かうことにした。

モスクワを出発したアエロフロート・ロシア航空のA320型機が降下を開始した。機窓の向こうには、夕日に染まるサーモンピンクの空と雲が広がっている。地上に目を落とすと、地平線まで続く広大な平原を大河がうねり、川岸には都会の夜景が輝いているのが見える。ロシアの大河ヴォルガ川と、タタルスタン共和国の首都カザンの中心部である。機内ではロシア語と英語に加え、独特のアクセントを持つ言語でも到着前の最終アナウンスが流れる。タタール語であろうか。その心地よい響きを頭の中で繰り返しているうちに、機体は静かにカザン国際空港に着陸した。

2012年に完成したという国際線旅客ターミナルは、ガラスを多用した現代的なデザインで規模が大きい。辺境とまでは言わないものの、カザンにはそれなりに辺鄙な雰囲気を勝手に期待していた。しかし、それはあっさりと裏切られた。ずいぶんと洗練された、都会の大空港といった趣である。

車で市内へ向かう。沿道には、シンプルながらも空間にゆとりのある、いわゆるロシア風の整備された街並みが続く。それでも随所にモスクワなどとは異なる雰囲気が感じられるのは、この土地が持つイスラム文化の影響であろうか。道ゆく人々はロシア系やタタール系に加え、中央アジア系と思われる人々など多様である。

街の中心部にある4つ星ホテルにチェックインする。未知の土地へやってきたという感覚はあまりない。英語があまり通じないこと(さらに私はロシア語もタタール語も話せない)を除けば、世界の主要都市を旅するスタイルがそのまま通用する印象だ。館内の設備やサービスも、高級複合商業施設並みに充実している。モスクワのシェレメチボ空港でのスムーズな乗り継ぎを経て、わずか1時間半のフライトで到着できるタタルスタン共和国。この新たな旅の目的地が、遠いのか近いのか、都会なのか辺境なのか、人々は友好的なのかそうでないのか、まだ掴みきれていない。

翌朝、目を覚ましてカーテンを開けると、外には果てしなく高い青空が広がっていた。高緯度特有の、少し乾燥した空気を感じさせる。旅の気分が高まってきたところで、さっそくカザン市内を巡ってみることにした。

大型のトラムが走る通りは広く、計画的に整備されているように思える。ソ連時代の都市計画が基礎になっているのだろうか。シンプルで機能的なデザインの巨大な建造物、イスラムの影響が感じられる伝統的な意匠の建物、そしてモダンな設計の最新ビルなどが混在し、整然と並んでいる。街路樹や公園などの緑は豊かで、通りを何度曲がっても美しく、写真映えのする街並みが続く。そして、街ゆく人々はどことなく皆、美形に見える。独特の整った顔立ちに、都会の人特有の自信に満ちたセンスを持ち、充実した暮らしを楽しんでいる人々が多いように見えるのは、初めて訪れる土地への旅人の贔屓目であろうか。

ロシア連邦内にある「共和国」の多くは、ロシア人以外の民族集団が、独自の憲法や公用語を持つなど一定の自治権を得て暮らす地域を指す。完全な主権国家としての「独立国」ではないが、連邦内には22の共和国が存在する。タタルスタン共和国は主にタタール人が住む地域であり、人口は約380万人と静岡県とほぼ同規模である。面積は6万8000平方キロメートルで、北海道よりは狭い。民族構成はタタール人53%、ロシア人40%とされるが、宗教の割合はイスラム教(33.8%)、キリスト教(ほぼロシア正教会で33.5%)、その他がほぼ同程度であるという。

「首都」カザンは、ロシアの大河ヴォルガ川の河岸に発展した街で、現在は穏やかで豊かな都会の風情が印象的だ。長い歴史の中でロシア最高レベルの芸術と文化を育んだ土地でもあり、それは現代にも引き継がれている。教育面では、革命家レーニンも学んだというロシア屈指の学府、カザン連邦大学も中心部に位置する。人口は110万人を超え、近年は開発がめざましい。特に2013年に開催されたユニバーシアード競技大会を契機に、市内で大規模なスポーツ施設の建設や交通インフラなどの整備が進められたそうだ。

なるほど、とまるで教科書をめくるように、初めて訪れるこの土地の情報を頭に入れているうちに、街のシンボルであるカザン・クレムリンに到着した。周辺一帯が「カザン・クレムリンの歴史遺産群と建築物群」としてユネスコ世界遺産に登録されている、巨大な砦・要塞(クレムリン)である。イスラム教徒のブルガール人が11世紀初頭に建設した砦を、その後の支配者であるモンゴル人が発展させ、ロシアへの併合後にはイスラム教を維持しつつロシア正教会を導入したため、現在はイスラム教とキリスト教の建造物が共存しているのが特徴とのこと。確かに敷地内を歩いてみると、視覚的に最もインパクトのあるイスラム教のクル=シャーリフ・モスクに隣接して、キリスト教の生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシェンスキー大聖堂)などが建っている。ここにあるのは、時代と宗教の違いを超えた調和ということなのだろう。ちなみに、クル=シャーリフ・モスクは元々15世紀頃に建築されたとされるが、イヴァン雷帝によるカザン征服時に破壊された。その後、ソ連崩壊後のタタール人の民族意識の高まりとともに再建計画が進み、2005年にヨーロッパ最大級のイスラム建築として復元されたという。そう考えると、カザン・クレムリンは単なる遺産というよりは、今もリアルタイムで続く歴史の一部のような存在だ。まるで、人々の営みの長大な物語が、ヴォルガ川の重厚な流れのように今もここに波打っている、そんな印象を受ける。

翌日は、この土地の歴史をさらに深く遡ってみようと考え、カザンから高速道路を約150キロメートル南下し、「ボルガルの歴史的考古学的遺産群」へ向かった。ここも世界遺産登録地である。道中の車窓からは広大な平原や農地が見渡せる(それ以外はほぼ何もない景色が続く)が、途中で渡るカマ川に架かる巨大な橋は圧巻だ。ほどなくヴォルガ川に合流するもう一つの大河なのだが、日本人の地理感覚からすると、その川幅はほとんど湖か海のようである。「こんな大陸の真ん中にこれだけの水量があるのか」と、まるで小学生のように驚いてしまう。ロシアの自然は実に雄大だ。

目的地に着くまでの間、タタール人とタタルスタンの歴史について目を通す。旅人として、訪れる土地への敬意を払い、わずかながらも自身の無知を補う努力である。曰く、タタール人の祖先はテュルク系民族の「ブルガール人」であるという。彼らは600年頃にアゾフ海沿岸を中心に部族連合「大ブルガリア国」を形成し栄えた。しかし、その分裂により、7世紀に北方に移住した一派がヴォルガ川流域に定住し、現在のタタルスタンにあたる地域にヴォルガ・ブルガール国を建国したのだそうだ。なるほど、歴史とは実に人々の戦いと移動の繰り返しである。ここで、「大ブルガリア国」という名前に疑問を持った読者のために補足しておこう。現在のブルガリア共和国のブルガリア人は、この大ブルガリア国の分裂の際に西方のドナウ川方面へ向かったグループが、現在の東南ヨーロッパ地域で南スラヴ系の民族と同化した人々の子孫なのだそうだ。ユーラシア大陸が、多くの民族が交差する陸続きの大地であることを改めて思い知らされる豆知識である。

話をこの地に建国されたヴォルガ・ブルガール国に戻そう。同国は10世紀頃にイスラム教を受容し、12世紀頃まではヴォルガ川の水運を活かした毛皮交易などで繁栄した。しかし13世紀にはモンゴル帝国の支配下に入ってしまう。モンゴル軍はその後さらに西へ勢力を広げ、現在のロシアや東ヨーロッパ地域までを征服。その広大な地域にモンゴルが建国したキプチャク・ハン国が分裂してできた国の一つが、ヴォルガ川沿いのカザンに首都を置いたカザン・ハン国なのである。カザン・ハン国の王族はモンゴル系であり、それによって臣民であったブルガール人の呼称も、モンゴル人を指す言葉であった「タタール」へと変えられたとされる。その後、カザン・ハン国ではイスラム文化が華やかな時代が続いたが、1552年、ロシアのイヴァン雷帝による攻略によって滅亡する。

ここ「ボルガルの歴史的考古学的遺産群」では、このような、旅行者がにわか勉強するには少々複雑で濃密すぎる歴史の中の、様々な時代の遺構を見学することができるのだ。広大な敷地に、屋外に(多くは創建当時の姿のまま)点在する遺跡の一つ一つに手を触れたり、内部に入ったりすると、その深遠かつ複層的な史実に驚かされる。だがそれ以上に、これらの遺構が、過去の建設と破壊、支配と従属、ソ連時代の統制、そしてその後の民族意識の高揚という激しい時の流れを経て、現在もなお、この地の民族のアイデンティティの拠り所として修復作業などがリアルタイムで進められていることに感銘を受ける。カザン・クレムリン同様、ここでも歴史は振り返るだけの過去ではなく、現在に連続する現実の一部なのである。

遺跡群のエリアでは、タタルスタン国内の社会科見学と思われる子どもたちや、ロシアからの旅行者グループが、はしゃいだり、あるいは感心したように頷きながら、穏やかな表情で散策している。ここが外国人旅行者だけを対象とした観光地ではないことがわかり、どこか嬉しく思う。すぐそばを悠然と流れるヴォルガ川の川面の輝きを眺め、周囲の草原を吹き抜ける風を受けていると、この風景は1000年以上前から変わっていないのではないだろうか、と感じ入る。実際、「ボルガルの歴史的考古学的遺産群」では、夏には史実を忠実に再現した歴史イベントなども開催されているそうだ。

タタルスタン共和国にはもう一つ、世界遺産に登録されている史跡がある。ヴォルガ川のカザン市内より上流に浮かぶスヴィヤシスク島だ。その歴史は、前述した16世紀のモスクワ大公国イヴァン雷帝によるカザン・ハン国侵攻、すなわち「カザン攻略」の際に、この島に前線基地となる砦を建設したことに遡る。カザン・ハン国征服後、スヴィヤシスク島にはキリスト教布教のための修道院や教会が建てられた。そしてロシア帝国は、このカザン陥落を機に、さらに東方へと拡大を続け、現在我々が知る広大な「ロシア」の版図を形作っていったのである。スヴィヤシスクは、そんな歴史の転換点となった場所だ。知的好奇心が掻き立てられる一方、ユーラシア大陸の歴史の重厚さを感じさせる話でもある。現在は島全体が歴史観光地としての趣も強いが、ロシアとタタルスタンの歴史において、その存在は極めて大きい。カザン市内からスヴィヤシスク島へは、車かヴォルガ川を遡る船で行くことができるが、川面や河岸の大自然を満喫できる船旅がおすすめである。

カザン市内に戻り、日を改めて再び市内を歩いてみる。カザンは水陸交通の要衝として、ロシアが常に重視し続けた街なのだそうだ。現在はロシア連邦でも有数の大都市であり、モスクワ、サンクトペテルブルクに次ぐ「第3の首都」とも呼ばれているという。街角で感じる、そこはかとないプライドのような空気感はそのせいかもしれない。タタルスタン共和国は、1917年のロシア革命(社会主義革命)時には、タタール系民族がロシアからの独立を宣言したが失敗に終わった。結局、「タタール自治ソビエト社会主義共和国(TASSR)」としてソ連邦内で自治権を与えられることになった。また、ソ連崩壊直前の1990年には分離独立を求めたが、最終的には広範な自治権を得てタタルスタン共和国としてロシア連邦に残留することで落ち着いた経緯がある。タタール人とロシア人の関係は、双方にとってどこか微妙で、特別なものなのであろう。そうした歴史的背景が現在につながり、ロシア連邦は前述のとおり、タタルスタン共和国を多民族・多宗教の平和共存の象徴と位置付けている。カザンは、そんな特別なタタルスタンの中心地なのである。いずれにせよ、旅人にとっては、言葉があまり通じなくとも、都会の機能性や快適さを享受でき、また基本的に昼夜を問わず比較的安全であることは、大きな利点だ。

街歩きには地下鉄、カザンメトロがおすすめだ。運賃は一回一律25ルーブル。地元の人に言わせると、「世界で最も短く(1路線10駅のみ)、最も安全な(根拠は聞きそびれたが)都市地下鉄」なのだそうだ。駅構内の装飾は見事で、ロシア的な公共空間の芸術性と、カザンならではのイスラムやタタール様式のデザインが融合し、圧巻である。通常の写真撮影は許可されているので、各駅を鑑賞するつもりでゆっくり巡るのも価値がある。

タタルスタン共和国がこれほどの文化の交差点であるならば、カザンでは間違いなく豊かな食文化を楽しめるはずだ。旅人の嗅覚が、それを本能的に告げている。カザンで食べられる本場のタタール料理の一つに、オシポシマク(Өчпочмак)がある。「三角形」の名を持つこの料理は、パン生地でジャガイモや玉ねぎなどの野菜と肉を包んで焼いたもの。いつでも気軽に食べられるのが魅力だ。見た目や素材から想像するよりも味はあっさりしており、食べやすい。そして忘れてはならないのが、「チャクチャク(Чәкчәк / タタール語ではシュクシュク)」である。この菓子のような料理は、細く切ったパン生地を油で揚げ、蜂蜜で固めたもの。甘く歯ごたえのある食感は、一度食べたらやみつきになるだろう。市内のスーパーマーケットでは、様々なサイズやバリエーションのチャクチャクが売られている。

タタール料理は全般的に、どこか日本人の味覚にも合うように感じられる。目抜き通りや、カザン随一の歩行者天国である繁華街バウマン通りなどには、様々なレストランやカフェが軒を連ね、タタール料理を提供している。また、ファストフードチェーン店「テュベテイ」も展開しているので、気軽に試すことができるだろう。カザン市内では、ロシア料理はもちろん、中東、ヨーロッパ、中央アジアの料理を提供する店も数えきれないほどある。

駆け足の滞在となったタタルスタン共和国、カザンであったが、その少し優雅で、複雑で、それでいて多様性に富み調和のとれた空気感は、旅人にとってなんとも居心地の良いものであった。ぜひ再訪して、もっと深く知りたいと率直に思った。今回は、旅のベストシーズンともいえる短い春の終わりに訪れ、街を歩き、そこに暮らす人々の生活の一端に触れた。しかし、再び訪れる機会があるなら冬の間も良いかもしれない、などと想像を巡らせた。長く厳しいロシアの冬は、旅人にとって厳しい条件も少なからずあるだろう。だが、人々の暮らしには、そんな環境をも快適に乗り切る工夫や知恵、人生を豊かに過ごすための優れた文化があるはずだ。それをぜひ垣間見てみたい。そういえば、何気なく尋ねた「タタルスタンは冬でも楽しめるか?」という問いに対し、地元の人々は誰もが口を揃えて「冬が一番美しい」と笑顔で答えたのであった。そんな気の利いた返答を、この目で確かめてみたいものである。

そんなことを考えながら、カザン国際空港へ向かい、帰途につく。あの大都会モスクワから、わずか1時間半のフライトでアクセスできる場所に、これほど深く豊かな土地が存在するとは。旅人として大きな発見をした気分である。世界、ユーラシア、そしてロシアは、実に広い。