1.忘却

 自分はこれまで岡山に旅をしたことがない。そう思っていた。

 もちろん岡山は知識としては知っていた。乗車する山陽新幹線が岡山駅に停車したことも数え切れないほどあった。岡山県出身のかつての同僚が郷里の良さを話していたことも、記憶にあった。しかし自分が実際に岡山の地を歩いた思い出が、まったくなかったのだ。

 ある日、まもなく九十歳を迎える実母に久しぶりに会い、世間話をした。高齢者用の車椅子に座る母親は、物事への反応は少し遅くなっていたが、会話はしっかりできて安心した。話題は、互いの健康や日々の暮らしに始まり、気がつくと、「旅行」になっていた。母が、仕事と休暇で時間を作って内外のさまざまな土地に出かけている六十歳の息子、つまり私に、こう聞いてきた。

「これまで行った中で、一番好きな場所、どこなの?」

 それは普段から多くの人に尋ねられる質問だったが、答えは簡単ではなかった。訪れた土地は基本的には好きになるし、世界は昨今均質化しており、どこも似たり寄ったり。比較などできなくなっているとも言えるのだ。そもそも到着地の印象など、旅の目的や出発までの経緯、自分の精神状態によっても変わってくる。一番好きな場所など、安易に挙げられない。本気でそう思っていたのだ。

 しかしそれを母から尋ねられるとは。思いがけない展開に少しまごついた。そして実の親との気軽な会話にも、「正しい」返答を探す自分もどうかしていると、一人、苦笑いした。

「んー。『まだ行っていない所、次に行く所』が一番好きな場所かな」

 同じような質問を誰かに聞かれた時の、自分なりの模範解答を、あまり気持ちを入れずに返してみた。

 母親は、私がかつて旅したり、住んだりした遠方の街や、テレビの旅番組によく登場する外国の都市、あるいは国内なら北海道や沖縄のような人気の場所を聞けると思っていたのだろう。少し期待外れの表情で、無言でこちらを見ていた。

 確かに普段から、そのように質問者を煙に巻くような答えを返すと、相手は少し間を取り、

「そっか……」

と、呆れと諦めを混ぜた表情で興味を失い、それ以上話が続くことが多かった。旅体験の自慢が好きではない私は、その模範解答を使って、話題を変えようともしていたのだ。

 母親との旅の話もそれで終わりになるだろうと思った矢先、

「それで、その行っていない所って、日本ではどこなの?」

と真顔で聞かれてしまった。私はなぜか詰問されているような心持ちになり、反射的に、

「岡山、かな」

と答えていた。

 その時、なぜ「岡山」という地名が飛び出してきたかは、よくわからない。確かにそれまでに訪れた記憶はなかったのだが、山陽地方の気候や瀬戸内海に面した土地柄などにはずっと魅力を感じていた。数少ない未訪問の国内の都道府県の筆頭として、無意識に次の旅の目的地の候補にしていたのかもしれなかった。しかしそれが、突然自分の口から出てきたことには、少し驚いた。

 すると今度は母親が、

「あなた、岡山に行ったことあるよ。楽しそうだった。忘れた? 忘れててもいいんだけどね」

 と言うではないか。

「……」

 自分は岡山に行った記憶も思い出もまったくない。しかし、母親は自信満々に言い切っている。自分に記憶がないほど幼かったころの話だろうか? いや、もしかしてこれは、母親の記憶や認知の機能が弱まりつつあるからなのだろうか?

 慌てて、

「それ、いつの話? 何かの思い違いじゃないの?」

 と聞き返すと、

「あなたが小学四年生のとき。二人で一緒に行ってるのよ」

 母は目を輝かせて、そう断言した。

 自分が小学校の四年というと、十歳くらいだ。つまり五十年以上前の一九七〇年代半ばのことになる。一緒に行った? 母親と二人きりで旅行したことなど、ほとんどないと思うのだが。

 母親は微かに笑みを含みながら、続けた。

「覚えてない? アイオイでできたばかりの新幹線から普通列車に乗り換えて。線路が海沿いだと思ったけど、海はほんの少ししか見えなかったのよ。でも空が明るくて青かった。小さかったあなたはずっと開けた窓から外を見てて、風に当たり過ぎて耳が痛いって言い出して……」

 記憶の引き出しがゆっくりと開け放たれているのだろうか、母は珍しく饒舌になっていた。

 黙って聞いていた私は、母が「耳が痛いって言い出して……」と言うのを聞いた瞬間、実際に右耳の奥がツンとしたように感じ、「アイオイ」が兵庫県の相生駅であることに気づいた。そしてそれをきっかけに、半世紀前の記憶が鮮明に蘇ってきた。

 そうだ。母親の言うように、自分は岡山に行ったことがある。確かに、二人で行った……。

 母は目の前で、心の中で何かを反芻するように遠くを見て、時折一人小さく頷いていた。

2.鉄路

 十歳の少年の私は、西行きのローカル列車に乗っていた。季節は夏の暑さが落ち着いてきたころ。正午前の日差しが、南に面した車両左側の窓から差し込んでいる。相生駅で新幹線を降りて乗り換えた、岡山方面に向かう赤穂線の下り普通列車だった。

 席は、向かい合わせの四人掛けボックスシートの、進行方向を背にした窓側だった。明るい日差しが差し込んでいた。隣の通路側の席には四十歳の母親が座り、静かに単行本を読んでいた。探検家の植村直己の若いころのエピソードをまとめた新しい本だった。私と母親の親子二人だけの旅で、ボックスの反対側には見知らぬ地元の中年男性が一人、所在なく座っていた。

 一時間ほど前に相生駅を出発した時には車両は空いていた。私はまず窓側の席に進行方向に向かって座り、母はその正面の窓側にこちらを向いて座った。あれは播州赤穂駅だったのだろう。何人かが乗車してきて、車両が少し混み合ってきた。私は隣の通路席に見知らぬ男性が座ったことが嫌で、母に隣の通路側にずれるよう小声で頼み、自分は母のいた正面の窓側の席に移った。進行方向とは反対の向きに座るのは不本意だったが、見知らぬ男性とではなく、母親と並んで座れることは嬉しかった。

 車窓には、夏の終わりを告げる、明るい青空が広がっていた。それは盛夏のそれとは少し違う、清々しい中にもわずかに秋の気配を感じさせる美しい青色だった。子どもの自分にも、空の色が季節の移り変わりによって、ゆっくりと変わることは分かっていた。

 列車は電車だった。ディーゼルエンジンの汽車にはないスムーズな動きと静けさが、心地良かった。レールのつなぎ目が、一定のテンポのカタン、コトンという振動音で伝わる中、母は隣で静かに本を読んでいた。

 走り続ける列車の窓から少し顔を出すと、風を強く感じて、短い髪がバラバラと揺れ続けた。耳と鼻の奥まで風圧が届き、普段の生活では感じられない、空中を高速で飛び続けるような感覚が、とても不思議だった。

 母が何度か、読んでいる本から視線を離し、

「窓から顔や手出すと危ないよ」

 と言ったが、外にはみ出しているのが身体のわずかな部分であることを確認すると、それ以上とがめることはしなかった。

 窓の外で動き続ける地面に視線を下ろすと、駅に近づくたび、自分の乗る列車の真下の線路が美しい曲線を描いて枝分かれし、別のホームや引き込み線に吸い込まれていくのが見えた。駅を出発するとそれらの線路が引き戻されるように、また自分が乗っている列車の影に交わった。

「線路というのはこんなふうに、ゆっくりと別れて、役目を果たして、またゆっくりと元に戻るのか」

 日差しを受けて銀色に輝くレールの表面を見て思った。

「あまり海見えないね。海沿いを走るんだと思ってたけど」

 母が私の肩越しに窓の外を見て、つぶやくように言った。

「うん。山と木ばっかり」

 私は、母親はずっと本を読んでいたのに窓の外の景色も気にしていたのか、と思いながら、正直にそう答えた。

 列車はトンネルを抜けて、田畑が広がる平地に出たかと思うと、またすぐに木々に覆われた山間に入ったりした。

 広い平野部の真ん中で生まれ育った私には、そのような変化の多い山間の光景を目にするだけでも刺激的な体験だった。そして窓の外からの風に、微かに海の匂いも感じていた。それらは遠くの知らない土地にやってきたことを、実感させた。

 しばらくすると、車窓の先の景色が急に開けた。

 次の駅が近づいてきているのだろう。窓の下の線路がまたゆっくりと流れるように分岐し始めていた。目を上げると突然、港とその先に広がる海が、すぐ手が届くような距離にあった。

 遅い夏の瀬戸内海だった。

 空は青く高く、そしてそれを映す水面は穏やかで、波は全くないようだった。遠くには緑の森を抱く、沖合の島々が見えていた。 

 母親が本を閉じ、身を乗り出すように外を見た。青い空と海をゆっくりと、交互に見ていた。

「明るいね。きれい。これまでで見た中で一番好きな景色」

そう話す母親の言葉が本心からのものだと、子どもながらに感じた。

 母は続けた。

「あの海の先にある島にも行ってみたいね。大きくなったら今度はお母さんをここに連れてきてよ」

 私は、母親の幸せそうな表情を見て、

「うん、わかった」

と頷き、直後に列車がゆっくりと停車した駅のホームにあった「日生 ひなせ」という駅名を、暗唱して覚えることにした。

「ひなせ、ひなせ、ひなせ」

 いつか、本当に母親をここに連れて来る日がくるかもしれない。いや、そうしたい。その時には、この駅名さえ覚えていれば、再訪がかなうはずだ。「ひなせ」に来れば、母親が一番好きだという景色があるのだ。  

3.願望

 列車が日生駅を出発するとすぐに、赤穂線はまた内陸部に入り、海は見えなくなった。

 再び本を開くことなく座る母の表情は、先ほどまでの喜びに満ちたものではなく、どこか寂しげだった。

 子どもながらに居心地の悪さを感じた私は、自分から何かをしなければならない、と思い、母親に話しかけた。

「なんでここに来ることにしたの?」

「え? ああ、遠くに行ってみたくなってね」

「遠くって?」

「明るくて、高い空があって、青い海が広がっているところ」

「へぇ」

「海の向こうに小さな島がいくつか見えたら、もっと良いね」

「それって、さっき見た景色だね」

「そうだね。全部あったね。見たいと思ったもの全部。遠くに来たら、あったよ」

「来て良かった?」

「うん、来て良かった」

「僕と一緒に来て良かった?」

「二人で来たから、良かったんだよ」

「そうなの? これからどこ行くの?」

「どこ行こうか?」

「決まってないの?」

「もっと遠くに行こうか?」

「見たいもの、全部見たんでしょ? なんでもっと遠くに行くの?」

「……。ねえ、ずっと帰らないでいようか?」

「え? 帰らないで、いいの?」

「うん」

 母親はそう答えたが、声が沈んでいたので、私は少し慌てた。そして、こう返した。     

「お父さんもお姉ちゃんも、僕とお母さんが帰るの、家で待ってるよ」

「そっか」

「このまま帰らないって、そんなの……。帰らないと、だめだよ」

「でも、ずっとこうして二人で遠くに旅行するの、楽しそうじゃない?」

「どこまで行くの?」

「遠くの知らない街。そこの新しい家に住む」

「え? 僕、学校はどうするの?」

「その街の学校に行く。お母さんもその近くで働く」

「そんな……。僕、友だち誰もいないよ」

 母はしばらく黙ったままだった。

 私は母親の表情にただならぬものを感じて、子どもとしてどう振る舞うのが正しいのかを考えていた。母と二人でこの先の見知らぬ土地で暮らし、そこで友だちがいない学校に「転校生」として通うこと、父親や姉と二度と会うことができないかもしれないことを想像すると、泣きたい気持ちになった。しかし、堪えた。覗き込んだ母親の瞳から、今にも涙がこぼれ落ちそうだったからだった。

 私が右耳の奥に痛みを感じたのは、その時だった。先ほど車窓から顔を出し、風に晒し続けたことが影響したのかもしれなかった。

 以前から私は慢性中耳炎を患い、家の近所の耳鼻咽喉科に通院していた。医師からは、痛みを感じたら直ぐに診せにくるように、と言われていた。

 私はとりあえず耳に違和感を感じるが、耐えられない程ではないこと、もしかしたら気のせいかもしれないことを、母親に伝えた。

 母は心配そうな表情で、

「風にあたり過ぎたね」

とだけ言った。

 私は、旅行中にこれ以上痛みが悪化するなら、直ぐに家に帰っていつもの先生に診てもらうのがいいのではないか、と不安に駆られていたが、目の前の母にはなぜか、

「これからどこかの新しい街に住むかもしれないんだよね? そこにも耳鼻科の先生いるかな?」

と、口にした。

 すると母親は、少し苦しそうな笑顔を私に見せて、

「さっきの話は、うそ、うそ。このままどこかの街に行くなんて、ないよ。旅行終わったら、家に帰るよ。その時まだ痛かったら、耳鼻科の先生のところに行こうね」

と言った。

 列車はまもなく東岡山駅に到着するところだった。そこは赤穂線の終点だが、列車はそのまま山陽本線に入り、十分ほどで終着の岡山駅に着く、という旨の車内放送があった。

 母親は気を取り直すように、少し大げさに植村直己の本を再び開いたが、さっきまでの続きのページを読み進めてはいないように見えた。

 その後は、岡山駅で山陽本線に乗り換えて数日間、倉敷などを観光したような気がするが、定かではない。

 はっきりと思い出したのは、途中で、母親と二人で遠くの街で新しい生活を始めることはないことを再度確認して安堵したこと、帰路の新倉敷駅から乗った上りの山陽新幹線が相生駅に停車したこと、そしてその時には右耳の痛みが消えていたことだった。

 もう一つ蘇った記憶は、帰宅時に家で出迎えた父親が母の顔を見て、怯えたような、どこか詫びているような態度を取ったことに、自分がとても困惑したことだった。

 母親と私の瀬戸内への二人の旅、そして赤穂線での会話について、私が父親や姉に話すことはなかった。母親にさえ、あの旅がそもそも何のために、何がきっかけで私だけを連れた親子旅になったのか、その後、あの旅の記憶を思い起こすことがあったのか、などを尋ねることは一度もなかった。父親と姉もまた、あの旅について私と母に尋ねることも、話題にすることもなかった。 

 そうして、あの旅で見た瀬戸内海の青い空と海は、母親と自分だけが共有する時間と空間の一片として、私の記憶の底に仕舞われ、その扉が閉じられることになったのだ。  

4.約束

 車椅子に座る母親に、岡山に一緒に行ったことを思い出したこと、赤穂線での記憶がかなり鮮明に蘇ったことを伝えると、少しだけニヤリと笑ったように見えた。

 そして、

「行ったことがないと思っていたのは、子どもながらに、行ったことがないことにした方が良い、と考えたからかもしれない」

と、伝えた。

 母親は懐かしそうな表情で、あの時の自分にはやりきれないことがあった。日々の生活から抜け出して遠くにいきたくて、どうしても明るい日差しや青い空と海を見たいと思った。それで、まだ小さくて面倒を見なければならなかった私を連れ、瀬戸内に向かったのだと言った。

 そして、山陽の観光地は岡山の倉敷しか知らなかったので、とりあえずそこを目指したこと、新幹線が相生駅に到着する直前に赤穂線というローカル線が海沿いを走っていることを知ったこと、実際に乗ってみると海がほとんど見えなくてがっかりしたこと、それでも私との親子の時間が穏やかで明るく楽しいものに思えたこと、などをぽつりぽつりと話し、こう続けた。

「あなたが岡山行ったのを思い出さなかったら、もう言うつもりはなかったけど……」

「え、何?」

「あの日、あなたが列車の中で耳が痛いって言い出さなかったら、多分あのまま家には帰らないで、どこかの街で暮らしていたと思う」

「……」

 そうだったのか。私は、あの時の母親の心情の一部を今更ながら理解できたように思った。あの旅は、母親と自分の人生にとって、重要な分岐点の一つだったのだ。もしあの時、私が耳の痛みを感じていなかったら……。もしそれを口にしていなかったら……。その後の五十年はどんなものになっていただろうか?

 母親が聞いてきた。

「それで、いつ『ひなせ』に連れていってくれるの?」

 確かにあの日、赤穂線の日生駅に停車する列車内で、大人になったら今度は自分が母親をそこに連れてくることを約束した。母親はそれをずっと胸の奥にしまっていたのか。

「あ、うん。そうだね。また夏の終わりに、行こう。今度は日生駅で下車して、瀬戸内の海辺に行って、そして船でその向こうの島にも行こう」

「車椅子でも行けるかな?」

「行けるよ。なんとか、する」

 次に行く所が一番好きな場所であることを、半世紀越しに母親と一緒に確かめる旅に出るのも、悪くない。なぜ二人でその旅に出かけるのか、なぜ再び瀬戸内海に向かうのかは、もちろんこの先も母と息子だけが知っている。

 私は、青き光と空をさがす旅の準備を始めた。(了)    ∎