十月に入って、明け方の気温が一桁台になった。この北の街に移り住んでから、まもなく三度目の冬を迎える。

これから日中も気温が零度を超えない日が続いても、驚くことはないだろう。絶え間なく降り続く雪に閉ざされても、慌てることはなさそうだ。ここでは昔からそうだった。自然に逆らうことはできないし、移り住んできたのは自分の方だと、いつの間にかそう考えるようになっている。どこに住もうと、環境を受け入れて適応すれば、住み心地が悪くなることはない。

一昨年、この街に住むことを決めたきっかけは、ある日ふと気づいたことだった。ここには、それまで旅先に漠然と求めていたものが、ほぼすべて揃っている。自然と空間、一定規模の都市機能、治安の良さ、澄んだ空気、安全な水道水、豊かな食材と料理、そして寛容な人々。言葉にすれば当たり前のことばかりだが、これらが同時に満たされる場所は意外に少ない。

住み始めた当初は、かなり好意的なバイアスがかかっていたに違いない。毎日の生活で出会うものすべてが、理想的な場所のように映った。

幅広でまっすぐに延びる道路を歩くと、視界が遠くまで開け、心身が解放される感覚がある。日本海型気候は山の天気のように移ろいやすく、一日のうちに何度も表情を変えるが、ひとたび晴れれば、高緯度特有の高く青い空が広がる。スーパーマーケットの棚に並ぶ野菜の産地の多くは地元だ。鮮魚売り場では、朝に水揚げされた魚介が氷の上に並んでいる。街を一歩出れば森があり、車で一時間も走れば、人の気配がほとんどない原生林や湿原に立つことができる。都市と自然の距離が、とても近い。

しばらくして現実をより冷静に見られるようになったが、それでも長年旅に求めていたものが常に手の届くところにあるという実感は変わらない。それらはそのまま、日々の幸福感につながっている。

人々の寛容さについては、地元の知り合いや友人がほとんどいないため、断言はできない。それでも住人たちは、自分が「旅人として住むこと」を許してくれていると感じる。多くの人が、定住者にも短期滞在者にも通過者にも、大差なく接している印象がある。この地に住むほぼすべての人が、数世代前にはここにいなかった。先住の民族の人たちもまた、移動の多い生活様式を持っていたとされる。誰もが移動者、あるいは旅人の系譜を引いているからかもしれない——とはいえ、これもまた理想化された見方かもしれない。

そして、冬を中心に一年を捉えている人が多いことにも気づいた。雪が降る長い厳冬がいわば標準で、暖かな春や美しい夏、透き通るような秋は、その基準から見れば例外的な季節なのだ。以前、地元のラジオパーソナリティが冬の到来を「帰ってきた季節」と呼んでいた。その言葉を聞いたとき、この街の時間感覚の輪郭が見えた気がした。

三度目の冬を目前にして、自分もようやくその感覚を少し理解できるようになったかもしれない。それが嬉しい。

初雪は例年、十月下旬だという。街はすでに冬支度を終えている。冬タイヤへの交換の予約を済ませた車が増え、ホームセンターでは除雪関連の資材が売られている。ベランダの植物を室内に取り込む人もいる。街全体が、静かに季節の帰還を待っている。自分もようやく、この街の一部になりつつある。