世間一般では、人生で引越しを経験する回数というのは、意外と多くないらしい。先日、同年代の知人たちと「引越し」の話題になったとき、そのことを改めて実感した。

彼らの大半は、半世紀以上の人生で数回しか住まいを移していなかった。最も多い人でも、親が家を建てたとき、進学、卒業、結婚、子供の成長に合わせた住み替えで五回ほど。生まれた家から一度も引っ越したことがない人もいた。

それに比べて、私はこれまでに25回以上、引越しを経験している。単純計算で、おおよそ2年に一度は新しい場所に移り住んできたことになる。

最初の引越しは、親の事業の倒産による夜逃げだった。その後、親に「もう帰ってこなくていい」と言われ、友人の家に長く居候したこともある。東京とアメリカの田舎町での修学、ニューヨークのど真ん中での間借り生活。日本に戻ってからは、職場に近い賃貸アパートを何軒も渡り歩いた。結婚、そして離婚の際も、住まいを変えた。東南アジアで仕事を見つけて数年間暮らしたこともある。マンションを買ったり売ったりしたときも、当然引っ越している。最近では、どうしても日本の地方都市に住みたくなり、地縁どころか知人も一人もいないのに住み始めた。

正確な回数はもう覚えていない。少なくとも25回、ということにしておこう。

定住できない性格なのか、こらえ性がないのか。自分でもよくわからないが、このフットワークの軽さは自分の持ち味だと思っているし、嫌いだと思ったことはない。

知人たちは呆れたように「そんなに何度も引越ししていて、何かいいことはあるのか?」と聞いてきた。私は「モノに執着しなくなるから身軽になれるし、どんな街でも旅先のように暮らせる」と答える。皆、少し首をかしげながら笑っていたが、一人が「うき草みたいだね」と言った。

うき草。根が地中に下りていない草。なかなかいい喩えだと思った。地面に根を張らなくても、風に吹き飛ばされても、見知らぬ土地で水を吸い、葉を広げ、光合成をして、とりあえずそこで生きていく。うまくいけば、そこで新しい芽を出すこともある。それは、まさに自分の生き方そのものだ。

今の街に住んで、もうすぐ二年半が経つ。次はどんな理由で、どこへ移り住むのだろうか。それは自分にもわからない。うき草だって、きっと、明日のことはわからない。