インドに「石の町」があるという。石の町? インド広しといえども、そんなRPGに出てくるような場所が本当にあるのか? そこに行き着くまでにアイテムを探し、賢者に出会ったりするのだろうか?
調べてみると、どうやらそこは南インドの内陸にある「ハンピ」と呼ばれる土地のようだ。巨岩と遺跡の町で、「数ヶ月のインド旅で一番記憶に残る」などと記す旅の先人たちもいる。へー、それほどなら、と、難しいことは深く考えずにインドに飛び、「勇者」の気分でその石の町を目指してみた。
「石の町」とされるハンピ(Hampi)はカルナータカ州の小さな集落。菱形をしたインド亜大陸の真ん中の少し下の、南インドと呼ばれる広大な地域の北部にある。ムンバイからは750キロメートル、ハイデラバードからは370キロメートル、ベンガルールからも350キロメートル離れている。つまりインドの現代的な都会からは隔離された、内陸の小さな町である。
アクセスが難関だ。交通インフラが急速に発展する現代インドだが、航空も鉄道も使いにくい。そこで、ベンガルールから長距離深夜バスで片道7時間半かけてハンピに向かうことにしたのだが、現地バス会社のウェブサイトでは事前予約ができるばかりか、スリーパー(寝台)のエアコン付き車両とシート番号まで指定できるではないか。往復で3000円ちょっとの運賃のオンライン決済も、実にスムーズである。旅行インフラが遅れているのか進んでいるのかわからないまま、最低限の旅の準備をし、インドに旅立った。
ムンバイのチャトラパティ・シバージー・マハラージ国際空港からベンガルールのケンペゴウダ国際空港へは、ビスタラに搭乗した。インドの財閥タタ・グループとシンガポール航空が合弁で2015年に設立した新進気鋭の航空会社である。その品質レベルから「インドのシンガポール航空」とも呼ばれ、長らくエア・インディアと多様なLCCなどがしのぎを削ってきたインドの航空業界で、独自のポジションを確立した会社だ。
フライトは機材がB737-800で飛行時間は1時間50分。定刻の発着で、トラブルの気配はまったくない。この「定刻の発着で、トラブルの気配はまったくない」というのが、インドの国内線にとっては「極めて快適なもの」であるということをお伝えしておこう。地上スタッフや乗務員の姿勢にとても好感が持てるのは、やはり上向きのエネルギーに満ちた会社ならではか。
ベンガルール、ケンペゴウダ国際空港
ベンガルールのケンペゴウダ国際空港に到着して、その巨大さと独特の意匠に驚いた。ターミナルビルはガラスが多用され、出発ロビーの数階分ある吹き抜けの天井が、自然の巨木を彷彿とさせる曲線と曲面を活かした白亜の柱で支えられている。そこに無数の搭乗カウンターがあり、多様な旅客が手続きをしている。当日出発の旅客しか入れない旅客ターミナルの外では、見送りの家族やドライバーなどがひしめいているが、駐車場に続く一般エリアにも、緑に包まれたオープンエアの広大なテラスが整備され商業施設が集積している。ターミナルに入らない人向けにも、充実した公共スペースと施設を完備しているのだ。
マジェスティック・バスターミナル
空港からはローカルバスで、ハンピへの深夜バスが出発するマジェスティック・バスターミナルに向かった。1時間強、渋滞の道路を進み、バスターミナルに到着した夕刻には雨が降り出していた。深夜バス出発まで6時間ほどある。半屋外のターミナル内を歩き回り、周囲の人々の様子をうかがったが、これまでに訪れたインドの都市のバスターミナルの中では最も整備され、混乱がほぼない印象だ。
ターミナルの周囲のエリアには、それなりに雑多なインドの地方都市の風情がある。食事を取ろうとホテルの一階にある食堂に入った。満席の客は私以外は(少なくとも外見は)全員インド人のようだ。荷物や服装からおそらくバスを利用する旅行者が3分の1、残りが地元の一般客といったところか。店長らしき初老の男性が、大きな荷物を抱えている私を見て、「こちらに座れ」とフロアの隅のスペースの広いテーブルを指差した。無難にビリヤニ(南インド風の炊き込みご飯)やカレーなどをつまんでいると、店長はときおりテーブルにやってきて、「うまいだろう」とニッと笑顔を見せる。深夜バスを待っているならここに何時間でもいてもいいぞ、という無言のメッセージだと勝手に解釈して、しばしの時間をぼんやりとテーブルで過ごした。
バスターミナルに戻ると、雨が激しくなっていた。オープンエアの待合所には屋根はあるものの、かなりの風雨が吹き込んでいる。出発までまだ数時間あったが、早めにバスに乗車したい。乗り場や車両などをバス会社のスタッフに尋ねると、手持ちのスマホで何かを確認しながら、「出発はまだまだ先だ。ここで待て、心配するな」という返事が返ってくる。
出発の30分ほど前になり、ようやくバスに乗り込むことができた。車両は予約どおりのスリーパー(寝台)、A/C付きの大型車両だが、車内装備の雰囲気としては、30年ほど前までの日本の鉄道の寝台急行といったところ。ただ、個人用「ベッド」は完全なフルフラットではある。そもそも椅子がないので、雑魚寝フロアを1人用(2人用もある)に区切ったような仕組みである。しかし意外なほどスペースがあり、快適度は見た目より高い。
定刻に出発したバスは郊外の高速道路を突き進むが、車両が大きいからだろう、揺れや振動はあまり気にならない。それより車線変更を行う左右の動きとクラクション音がほぼ絶え間なく続いている。後でわかったことだが、それらはどうやら道の前方を横断する野生動物を避けるためでもあったらしい。
バスが止まった。2人乗車するドライバーが交代するための停車のようだが、場所はサービスエリアなどではなく、高速道路脇の水などを売る粗末な小屋の前である。数人の乗客が車を下り、タバコを吸っているドライバーたちを横目に、路肩からさらに数十メートル先の真っ暗な藪の中に進んでいく。どうやら野原で用を足すようだ。少し考えたが、必要に迫られて私も彼らに追随した。幸いにも雨はやんでいる。
周囲は漆黒の闇。足元さえおぼつかない藪の中に一人立っていると、さまざまなことが頭をよぎる。ここはスマホの電波も届かないインドの大平原か畑の真ん中。時刻は深夜2時を回っている。背後の遠く離れた道路をときおり走り抜ける車のヘッドライトだけが、文明のあかしだ。もしもバスが今、発車してしまったら……、置き去りにされた私はあの水売りの男とここで夜明けを待つのか……。バスに残した荷物はどうなるのか……。そんなことを考えていると、頭がクラクラしてきた。そう言えば、バスを下りてこの藪に向かう時、ドライバーたちにその旨を伝えたような、そうでなかったような。ドライバーもわかったという顔をしたような、しなかったような。
用を足すのもそこそこに必死に路肩を駆け上がり、バスに戻ると、安堵のため息が出た。交代したドライバーは何事もなかったように運転席に座り、私を一瞥して「早く自分のスリーパーに戻れ」という表情をしている。私を待っていたのか、たまたま私の戻るタイミングがよかったのかは、定かではない。これまでで最強レベルのハードな「トイレ休憩」であったことは確かだが。
夜が明けてきた。今日は好天のようだ。バスがハンピの手前のホスペット(Hospet)の街で停車し、多くの乗客が下りた。この地域では比較的大きな街のようだ。荷物の積み下ろしなども行っているのは、バスが地域の物資の定期輸送も担っているからか。ホスペットから30分ほどで、ようやくハンピの町の中心に到着した。バスを下りる時、ドライバー席の設備や装置があまりにシンプルで驚いた。これだけの大型バスでありながら、先進的な機器にはほとんど頼らず、エンジン以外は主に人力で走っている、そんな印象である。
バスのドアから外に出ると、まだ朝の6時台だというのに、5、6人の男たちが群がってきた。「オートリクシャやタクシーはどうだ?」「宿は決まっているのか? 紹介するぞ」「ハンピの1日観光ツアーはどうだ? ガイドするぞ」「飯は食ったか?」「何でもするぞ、言ってくれ」「チャイは飲むか?」「どこから来た?」などとセールスに必死だ。ハンピで下りる乗客は数人だというのに、かなりの勢いである。しかし押しの強さは、それほどでもない。すべてのオファーを丁重に断ると、みな、物足りないほどあっさりと引き下がった。宿にチェックインできる時間まで、とりあえずすることがないので、このバス発着場でしばらくゆっくりすることにする。
チャイの屋台がすでに開いていたので、1杯オーダーし、周囲を見回す。辺りは乾いた赤土で、集落が巨岩、巨石が続く台地の中にひっそりとある、という雰囲気だ。バス発着場近くにも巨岩はごろごろあり、遠望する周囲の丘には巨大な岩石が連なっている。まさに「石の町」である。じっと眺めていると、どこかCGの合成画像の中に迷い込んだような気にもなる不思議な光景である。そんな気分を察してか、辺りをぶらぶらしていた先ほどの自称ガイドらが、ときおり思い出したように、「ガイドは……いらないよね?」などと話しかけてくる。これから少しずつバスの発着が増えていくのだろう、周囲のほかのチャイ屋台もゆっくりと開店準備を進めている。
ハンピは14世紀ごろから栄えたヴィジャヤナガル(Vijayanagara)王国の首都だったが、地域の戦いと遷都などで16世紀ごろまでに廃墟となった。現在、10世紀ごろからの寺院などの建造物や、王国首都として栄華を極めた時代の要塞、望楼、水道橋、柱廊、浴場など約40ヶ所が、都市の遺構や遺跡として残っている。
エリアは都市遺構として1986年に、ユネスコ世界遺産の文化遺産に登録されている。しかし1999年には保存に緊急性と配慮が必要などの理由で「危機遺産」リストにも登録されたものの、2006年には除外されるなど、なんとも慌ただしい世界遺産である。周囲を見ても観光整備は最小限といったところで、世界遺産登録地という雰囲気はあまりない。ここが今も実際に人々が暮らす町であり、そのアクセスの難しさや、生活インフラと観光リソースの未開発度などから、観光客が大挙して訪れることがないのだろう。
日が少し上ってきたところで、近くの寺院を歩くことにした。バス発着場から近いヘーマクータの丘にあるヴィルーパークシャ寺院は、遺跡ではなく現役のヒンドゥー寺院。ハンピを代表する存在だ。高さ50メートルの白い塔門(ゴープラム)を多くの信者がくぐり抜け、その先のヒンドゥーの神々に祈りを捧げている姿が印象的だ。
さらに、ヴィッタラ寺院にも足を向ける。こちらは16世紀に建てられたヴィジャヤナガル様式の最高傑作といわれる建造物。礼拝堂(マンダパ)にある56本の石柱の細密な彫刻はじっくりと見てみたい。また寺院のシンボルである車輪が付いた山車のような外観のお堂、「石のチャリオット(ラタ)」も必見だ。
いずれの場所も、町全体が遺跡・遺構と一体化しているので、「ここからが遺跡」という境界がはっきりしていない。それにより意識を途切れさせることなく「石の町」全体を楽しむことができるのがうれしい。正午近くになって観光客が少し増えてくるが、外国人はイスラエルから来たという女性グループや中国人の団体観光客、アメリカ人学生の「研修旅行」などに遭遇したくらいだった。インド国内からの訪問者も多く、寺院巡り(巡礼)と観光を兼ねた旅のようだ。みな一様に静かで、落ち着いている。そもそもここには大きくテンションが上がるような観光リソースはなく、誰もがこの少し不思議な空間をゆっくりと楽しんでいる、そんな雰囲気だ。
隣村のホテル、そしてSNSリクシャドライバーに出会う
宿泊はハンピの隣のカラマプラム村のホテルに部屋を準備していた。ハンピの南に広がる広大な遺跡エリアのさらに南側である。オートリクシャで100ルピーほどの距離で、ローカルバスなら15分ほど乗って運賃は8ルピー。カラマプラム村までは一本道で、沿道には遺跡しかない。移動も遺跡巡りの雰囲気がある。
翌朝、ホテルの周囲のカラマプラムの生活感たっぷりの裏通りなどを散策し、「さて、今日も遺跡をめぐるとするか」と思い通りに出ると、待ち構えたように1台のオートリクシャが近づいてきた。ドライバーが、「どこにでも連れて行く。自分はガイドではないが、ガイド的な説明もできる」と自己PRしている。ガイドもガイド的なものも要らないのだが、正直そうな風貌の男だったので、いくつかの遺跡(それぞれ遠く離れている)を回るルートでオートリクシャを半日チャーターすることにした。
王宮跡の遺跡や遺構などに連れていってくれるが、各所で頼んでいないのに、歴史や由来や見どころを解説してくれる。要らない、と思いつつ、説明が明快で英語が比較的わかりやすいため、聞き続けてしまったのも事実である。するとドライバーは、自分がSNSで「ハンピのナイスなリクシャドライバー」として一部で話題になっていること、世界中の旅行者のフェイスブックのタイムラインに登場していることなどをさりげなくアピールし始めた。金品を欲しがったり、料金をだまし取ったりするわけではないので問題はないのだが、チャーターの終盤に近づくにつれて、インスタやフェイスブックの話がさらに増えてきたのには閉口した。ドライバーに礼を伝えつつ、オートリクシャのチャーターを終えたが、SNS全盛とされる昨今は、インドの片田舎の旅行市場でもフェイスブックがもっとも重要なのか……。これが現代の旅のスタイルなのか、と感じ入りつつ、同時に「SNSのために旅しているんじゃないんだけどねぇ」などとも思う。その答えはわからない。
川向こうで発見した、新たなハンピの楽しみ方
こうして数日にわたって、この「石の町」を歩き回った。遺跡や遺構はインドの歴史を知っていれば、さらに想像力と知的好奇心が刺激されるだろう。知らなくても、周囲の丘がひたすら巨岩に包まれた町、街中に巨石がごろごろある町に滞在するのは特異な体験である。ただ、遺跡・遺構は未整備や整備中のところが多く、ラフな石や岩の上を歩く距離は最終的には長くなるので、足腰が疲れることは覚悟しておこう。さらに、これは個人差があると思うが、石と岩だけの乾いた世界を見続けていると、視覚的にもどこか疲れを感じてしまうことも付け加えておこう(私は無意識に、緑や曲線、ソフトなものを欲していた)。
町の北部にはトゥンガバドラ川が流れていて、この川沿いの穏やかな風情もおすすめだ。ハンピの名称のルーツにもなった川(旧名がパンパ川)で、かつてここに首都を建設する際のライフラインであった存在である。当時とほぼ変わることがないであろう川面と、そこで漁をする夫婦などの姿は、この地に綿々と続く人々の営みと自然のつながり、その歴史を感じずにはいられない。インドは空間と時間が実に立体的に連続している、そう思わせてくれる光景だ。
渡し船でトゥンガバドラ川の対岸に渡ると、そちらも岩だらけの土地ではあるが、遺跡ではなく田畑が広がり、ゲストハウスやレストランなどが並ぶ小さな集落があった。そこで偶然にシンガポール人の若い男性旅行者に出会い、立ち話をした。ハンピには、ロッククライミングをしにやってきたという。さまざまな巨石や岩山があるこの地は、ロッククライマーにとっては夢のような場所で、数週間滞在している間、ゆっくりといろんな岩山を登っているそうだ。岩・巨石を遺構や遺跡と同じ歴史の一部としか見ていなかった私にとって、目から鱗の旅目的である。ここは観光リソースが限られている、と勝手に思い込んでいたが、あらゆる土地には実にさまざまな楽しみ方がある。
この「石の町」ハンピでの時間はここにしかないもので、冷たい岩や石、遺跡からは、インドの歴史とそれが伝える土地のエネルギーの一端を感じた。それは「ここに来てよかった」というシンプルな充実感である。今夜、あのスリーパーの深夜バスでベンガルールに戻る予定だ。その先の旅程は未定だが、もう少しこのまま南インドをめぐってみようと思う。目の前に続く道を進み、次の町がどんな町かを想像し、そこにどんな光景があるのか、誰に出会えるのか、そんなことを想像するのも、旅の技術であり楽しみでもあるのだ。
(おまけ)正式都市名はベンガルール
現在の「ベンガルール(Bengaluru)」の名称は、長らく使われてきた「バンガロール(Bangalore)」から2014年、正式に変更されたもの。インドでは都市名などを、主にイギリス植民地時代以前の名称に変更する(戻す)ケースが多いが、例えばボンベイからムンバイへ、マドラスからチェンナイへなどの改称ならまだしも、バンガロールとベンガルールの微妙な差異を外国人が正確に把握するのは意外にややこしいかもしれない。新旧の違いだけでなく、ベンガルールの「ベンガル」は音的にはインド北東部のベンガル地方の「ベンガル」と似ており、さらにはインド南東部には「ヴェンガルール(Vengalur)」という町もある。加えてリベラルな知識層のインド人には「都市名の変更は政府が政治的な理由で行ったもの。国民は必ずしもそれに従う必要はなく、従来の名称を使うことも可能」と考える人もいるため、その混在に拍車がかかる場合もあるからだ。インドを旅する者としては、どんな時も意図せぬ方向に歩みを向かわせしまわないよう、注意を払いたいものだ。
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