2019年は正月から、ウラジオストクとハバロフスクを歩いた。年初にふさわしい高尚な考えや氷点下の世界の美しさなどを追求しようとしたわけではない。各地への年末年始の航空券が高騰する中、成田発極東ロシアへの往復航空券が総額3万円台半ばという、拍子抜けするほどの安値で直販されていたのだ。その移動距離は片道わずか1000キロ余り。難しいことは考えず、手段があるならそこへ行ってみたい。今回は、そんな自由な旅心に駆られて出かけた厳冬の極東旅の記録である。

成田空港を出発し、日本海上空を穏やかに北上するS7航空のA320の機内は、さながら日本の国内線のようである。機内食にはドリンクとサンドイッチが出されるが、客室乗務員もさほど忙しくはなさそうだ。機窓からは明るい冬の午後の光がキャビンに差し込んでいる。フライトタイムが約2時間30分を切ることから、乗客も機上でゆっくりするというよりは、間もなくやってくる目的地への到着を所在なく待っているという穏やかな雰囲気だ。

それにしても、正月元旦に成田を出発するこのフライトがほぼ満席であるのには少し驚いた。乗客はほとんどがロシア人だろうと想像できる風貌の人たち。年末に訪日旅行を楽しんで、これが帰路便なのだろう。その雰囲気からは旅の終わりの充足感が伝わってくるようだ。

日本人旅行者であろうと思われる少数派は、見た目には20代〜30代くらいの若者が多い。その表情から、正月・元旦の風情がまったくない成田の搭乗ゲートや機内を寂しがっているのだろうかと思ったが、よく見ると一様に「地球の歩き方 極東ロシア シベリア サハリン」を手にしている。その少し落ち着かない表情は、未踏の土地に向かう旅人の期待と緊張の表れのようだ。

やがて機体はウラジオストク国際空港に到着した。ウラジオストクは東京より(経度で8度ほど)西にあるが、標準時は1時間進んでいる。現地の時計は19時を指しているものの、周囲の薄暮は東京のそれよりは少し明るい。

ターミナルは2012年に開催されたロシアAPECに合わせて完成したという大きく現代的な建造物で、館内にはロシア語に加えて英語の表示やアナウンスがある。極東ロシア随一の国際空港だそうだ。それでも到着ロビー中央にはキャビア、イクラ、タラバガニ、ボタンエビなどの海産物をガラスケースで販売する大型店舗があるなど、極東ロシア風味はたっぷりある。韓国からの航空便が多いのだろう。ロビーには韓国人と思わしき旅行者も多く、活気がある。この様子からは、この空港が1993年まで民間航空サービスに閉ざされていたことを想像するのは、少し難しい。

市内中心部までは40キロほどの距離がある。一般旅行者が使える公共交通機関として空港鉄道「アエロエクスプレス」がターミナルに隣接する駅に乗り入れているが、運行便数が少なく、19時を過ぎたこの時間にはすでに運行は終了していた。結果、タクシーを使うしか手段がないが、プリペイド式のタクシー手配カウンターには数人の順番待ちの列ができている。

末尾に並び、女性スタッフによる先頭の旅行者への説明に聞き耳を立てていると、ドライバーがとにかく足りないので20分〜40分たったら戻ってこい、という状況らしい。一応英語で説明しているが、詳しい事情をやり取りするようなレベルではなく、その待ち時間が正月元旦だからか、この時間帯だからか、ほかに理由があるのか、はたまた日常的な出来事なのかはわからない。自分の順番になって同じことを言われるが、スタッフは特に私の名前を聞くわけでもなく、番号などを渡すわけでもなく、「ハイ次」と列の後ろにいた旅客を呼んだ。

20分後にカウンターに戻ると、スタッフは「おー、来たのね」という表情で、近くにスタンバイしていたドライバーらしき男性を指さす。どうやらすでに車は手配できているようだ。スタッフは順番待ちの客をすべて顔や風貌で覚えているのだろうか。私と同様に待っている人はかなりいるが、特に不満もないようなので、呼び出しの順番は間違っていないようだ。長らく忘れていた人間本来の優れた能力を見せつけられた気分だ。

振り返ると、先ほど機内にいた日本人の若者が数人、列の半ばにグループで並んでいる。知らない者同士だが、旅は道連れ、一緒にウラジオストク市内まで移動しようということになったのだろう。私に「ここに並んでいればタクシーに乗れるんですよね?」と突然日本語で聞いてくるので、「うん、スタッフに顔を印象付けておくとさらによいかもね」と告げておく。若者たちよ、力を合わせて良き旅を!と小さくつぶやく私である。

ドライバーに促されターミナルを出ると、外気は冷凍庫の中のように冷たい。体感でマイナス20度以下だろうか。路面も、吐く息も、車両の屋根もすべて凍りつき、白く輝いている。むき出しの顔面には痛みさえ感じるが、周囲に寒がっているそぶりを見せる人はまったくいないため、その痛みや寒さが通常であり、なんとなく耐えられるような気がしてくるから不思議だ。

タクシーの車両はどう見ても白タクにしか見えないが、細かいことは気にせず乗り込む。寡黙なドライバーは無言で凍りつく高速道路を突き進んでいる。車中で覚えた違和感の原因が、道路は右側通行でありながら、車両も右ハンドルであることだと気づくまで、さほど時間はかからなかった。ここでは自動車の大多数が中古の日本車なのである。

ウラジオストク市内に入ると、坂道が多く、どの道路もすぐに海や港につながっていることがわかる。建物もおおむね大きく、通りは広く、立体的な都会とさえ言える美しい街並みだ。中心部は商業的にも賑やかな印象である。時折、ライトアップされた巨大な吊り橋、金角橋の一端が顔をのぞかせる。

するとぶっきらぼうなドライバーが突然、窓の外を指さしながら、「ブリッジ」「レイルウェイターミナル」などと満面の笑みで観光案内を始めた。来訪者へのもてなしか、住人としての街への愛着なのか。いきなりのことに少し戸惑うものの、初めて訪れた街の住民にとりあえず歓迎されたのだと思うことにしよう。

ホテルは街のはずれのアムール湾に面した高台に建っていた。到着したころには周囲は漆黒の闇で、湾から吹きすさぶ風とそれに乗って吹雪のように舞う氷の粒から、外気温がどんどん下がっていることがわかる。外の空気は凍りついているが、ホテルの建物の中はTシャツ一枚で過ごせそうなほど暖かいのは、さすが寒冷地である。寒い土地ならではの暮らしのしくみに安堵しながら、熱いシャワーを浴びたのだが、もしこの環境で「燃料」や「エネルギー」がなかったら…などと想像したりもした。到着早々、なかなかハードな思いがよぎる旅である。

翌朝はすっきりとした快晴。しかし窓のガラスの半分くらいには、びっしりと、細部では雪の結晶のフラクタルが肉眼で見えるほどに氷が張り付いている。遠望するアムール湾がはるか沖合まで凍りついている光景に、感動を超えて大自然への畏怖すら感じていると、本来は湾内の水上である氷の上に無数の影があることに気づいた。この寒空に海鳥が集まってきているのかと目を凝らすと、それらはよもやの人間たちである。南極大陸のペンギンよろしく、互いに一定の距離を保ったままほぼ直立している。全身を厳重な防寒具で覆っているのは言うまでもない。

さっそく自分も重装備でホテルを出て、先ほど見た氷上に向かった。外気は体感でマイナス20度を下回ろうという寒さだ。波止場とされる場所から氷結した湾上に踏み出す。氷上はさらに気温が低く感じられる。足元の氷は分厚いが、波がそのまま固まっているような形状や、諏訪湖の「御神渡り」のように氷同士が衝突して盛り上がっている場所もたくさんある。ウラジオストクは不凍港としてロシアの重要な軍事拠点であるのだが、内海となっているアムール湾は厳冬期、こうして完全氷結するのだ。

無数の南極ペンギンのように見えた人たちは、果たして釣り人たちだった。実益を兼ねた趣味あるいはレクリエーションとして、氷にドリルで直径15センチほどの穴を開け、釣り糸を垂らしている。釣れるのはシシャモやワカサギのようである。近づいて「いいね、釣り!」という表情をすると、釣り人は「そうだろ」という顔をする。互いに無言なのは無愛想なのではなく、寒くて口を開けたくないからだ。それにしても厳しい自然環境の中での人の暮らしの豊かさと強さを感じられる世界である。

ウラジオストク市内を歩く。街並みは整然としているが、商業的な賑わいが典型的なロシアの地方都市とは少し違うようにも見える。ここには極東随一の軍港があり、1991年までは閉鎖都市として外国人どころかほとんどのロシア(ソビエト)人さえも立ち入ることができなかった場所なのだ。

現在の商業的な街の表情は、1991年以降の自由経済の中で生まれたものなのだろう。公園や公共スペースが多いのはかつての優れた都市計画の結果で、ロシアの都市の特徴だ。街ゆく子供も大人も老人も、もちろん徹底した防寒はしているものの、当たり前のことだが普通に日常生活を送っている。車移動だけでなく、バスなどの公共交通を使い、徒歩で街歩きをする人も多い。それを見ていると、自分も寒いのは寒いのだが、だんだんとマイナス20度程度の気温に慣れてきて、あまり気にならなくなるから面白い。

穏やかでありながら活気のある市内には見どころが点在するが、中心部はがんばれば歩いて回れる広さである。公共バスの利用もさほど難しくなく安い。ロシア正教のポクロフスキー聖堂や中央広場などを経て、鷹ノ巣展望台から市街を一望するとウラジオストクの全容が垣間見られるだろう。また、ヨーロッパの街並みそのままの商業エリア、アドミラーラ・フォーキナー通りや、モダンに改装されたグム百貨店とその裏のストリートにあるあか抜けたカフェやレストランもおすすめだ。商業施設などでは無料のWi-Fiインターネット接続が充実していることも付け加えておこう。

こうしてウラジオストクに数日滞在し、フレンドリーなスタッフに勧められるまま連日、ロシア料理や新鮮なシーフードを楽しんでいると、あっという間に正月三が日が過ぎようとしている。おめでたさはさほど感じられないが、困ったことも特になく旅の充足度は高い。

夜になり、その美しい駅舎が有名なウラジオストク鉄道駅に向かう。20時30分発の夜行列車、オケアン号でハバロフスクに向かうのだ。オケアン号はウラジオストクとハバロフスクを結ぶ極東の特急寝台列車だが、ウラジオストク駅はロシアを横断するシベリア鉄道の極東側の起点・終着駅の一つであり、この駅のプラットフォームからモスクワ行きの超長距離列車も出発する。

オケアン号の最上級クラスのコンパートメントがある車両は比較的新しい。車両付きのコンダクター(美形である)に促され、凍りつく屋外のプラットフォームから乗車すると、そこは明るく暖かな個室で、テーブルの上にはウェルカムフルーツとスイーツ、そしてアメニティキットが置かれている。大型の収納スペースにトイレとシャワーも完備している。大型旅客機のファーストクラスの「スイート」のイメージに近いだろうか。ソファを展開すると、幅広のベッドができあがる。若い女性のアテンダント(かなりの美形である)が乗車しており、必要なものはないか、紅茶用のお湯を持ってこようか、朝食のドリンクは何がよいかなどを英語で尋ねてきた。列車が定刻に走り出すが、揺れはあまりなく、乗り心地は悪くない。シベリア鉄道の旅がこんなにも快適なら…、9300キロを7泊で走破し、モスクワまで行くのも楽しいのではないか…。そんなことを妄想しながら、眠りに落ちた。

目が覚めると、窓の外には夜明けの空が広がっていた。沿線は美しい冬景色である。窓枠の室内側が白く凍りついているのは、未明の外気が相当に低かったからだろう。スマホで現在地を確認すると、まもなくハバロフスクに到着のようだ。およそ12時間かけて北上した約800キロは、おおむね中国との国境に沿ったルートだ。自分が中国や朝鮮半島と陸続きの大陸にいることを改めて実感する。

ハバロフスク駅は壮大で優雅な佇まいだ。ウラジオストク駅が1991年から一般人に解放されたシベリア鉄道の起点なら、このハバロフスク駅はソビエト時代から現代に続く、シベリア鉄道の極東の重要拠点だ。かつてのシベリア横断鉄道はここを起点・終着駅とし、さらに日本海に臨む国際港のあるナホトカの街まで続いていたのである。

ハバロフスクは、伝統的なロシアの地方都市の雰囲気が強い。圧倒的なスペースを誇る広場、豊かな森の公園、巨大なショッピングセンター、随所でロシアの街としての歴史と格式が感じられる。そして、内陸にあるためだろう、その寒さはウラジオストクにも増して厳しい。スマホが示す「体感温度」はマイナス30度になっている。

市内に見どころはたくさんあるものの、ここでは極東ロシアの人々の普通の街の暮らしを垣間見られるのが楽しい。日中の天気のよい時間帯(それでも気温はマイナス20度くらいで、時折氷のような吹雪が狂ったように舞う)には、雪で覆われた通りをジョギングしたり、真っ白い息を吐く大型犬の散歩をしている人がいる。厳しくとも与えられた環境の中で豊かな暮らしを自ら生み出す、そんな当たり前のことの重要さを思い起こさせてくれる光景だ。

街にはカフェも多い。スタッフは英語を操り、おおむね愛想と機嫌がよい。メニューにロシア料理に加えて、中華系や中央アジア系の料理が普通に並んでいることからも、この街と極東ロシアの歴史とクロスカルチャー度を測れるように思う。

賑やかな市内の目抜き通り、ムラヴィヨフ・アムールスキー通りを下っていくと、ブルーの屋根が鮮やかなウスペンスキー教会にたどり着き、その先で、極東ロシア随一の大河、アムール川の河畔(かはん)に出られる。厳冬期に氷結するその川面の姿は圧巻で、冬にハバロフスクを訪れるなら必見と言ってよいだろう。この大河の河口域の膨大な量の氷がゆっくりと海に流れ出てオホーツク海を南下し、そしてそれが網走沖や知床半島に「流氷」を生み出しているという事実には驚くばかりだ。果てしない氷しか見えないアムールの川面を臨みながら、この極寒の地の偉大な自然の営みと日本との少なからぬつながりに、少し胸が熱くなる。

日本への帰路に着こうとハバロフスク空港に向かう。2019年1月現在、就航する国際線は1日4便。エアラインと行先はS7航空の成田、オーロラ航空の韓国・ソウルと中国・撫遠、ノルドスターの中国・三亜のみである。国際線が発着する現行ターミナルは古くて小規模だが、巨大な新ターミナルが現在、建設中だ。完成後は国際線の拡充が期待されている。

成田便にチェックインするが、見回すと当然ではあるが日本人と思わしき旅行者やビジネスマンの姿も少なからずある。窓の外の凍りついたエプロンでは、除雪車両が路面の氷とわずかな積雪に「かんな」をかけるかのように作業を続けている。広大な空港には駐機する航空機も多くはなく、空港周辺はほぼ何もない純白の原野のようである。輝くほどの純白の世界で、S7航空の機体のライトグリーンが実に映える。この機体の目的地である成田空港と日本の喧騒が、この光景からわずか2時間半ちょっとの先にあるとは、にわかに信じがたい。どうやらこの6日間で、極東ロシアの空気感と寒さにすっかり馴染んでしまったようだ。

近くて遠い、寒くて温かい、極東ロシアへの旅は実に豊かな時間となった。それは旅先での喜びや、そこに住む人々の暮らしが、複雑な歴史や移ろいゆく政治などとは少し別のところにあるという、原初的な旅の意味を再認識する機会でもあった。正月元旦からでさえ気軽に訪れることができ、さまざまな旅の好奇心を刺激してくれるこの隣国の土地は、これから日本からの手軽な旅行目的地として人気が高まるかもしれない。そんなことを考えて、日本海上空を南下する帰途についた。

(旅のメモ) 日本のパスポート保持者は2019年4月現在、ウラジオストク、ハバロフスク、(サハリンの)ユジノサハリンスクなどの極東ロシアの一部地域への観光旅行に、電子ビザ(E-Visa)を利用できる。ただし、この E-Visaは入国地・滞在先が一都市に限られるなどの条件があり、今回の旅のような2都市の周遊、あるいは入出国の空港が異なる旅程には通常の観光ビザが必要になるので、気をつけよう。