プノンペンに到着した翌日、旅の目的だった予定がキャンセルになり、することがなくなった。何度も訪れている街なので、今さら観光スポットを巡る気にもならない。そもそも今は、雨季の真っ只中だ。

安ホテルの部屋は終日留まるほど快適ではないし、正直、人の気配も恋しい。周辺のカフェで本でも読もうかと思ったが、午後はスタッフが本格的に休憩したい時間帯なのだろう。あまりに閑散としていて、逆に落ち着かない。

そういえば、街の中心部のはずれに市場があったような気がする。散歩がてら、とりあえずそこに向かってみようか。付近のレストランの食事にはあまり期待できないけれど、市場なら夕食の食材が何か手に入るかもしれない。スコールに見舞われることも予想できたが、傘は持たずに歩き出した。街歩きは手ぶらが気楽だ。

20分ほど歩いた先にあった市場は品物と活気に溢れていた。野菜、肉、魚、生花、手作りの惣菜、菓子、乾物、衣類、生活雑貨まで、ありとあらゆるものが所狭しと並んでいる。生鮮品は概ね新鮮だ。

高い天井のフロアを進むと独特の匂いが鼻をつく。通路を進むごとに品々が変わり、その刺激が少しずつ変化していくのが面白い。売り手も様々だ。若い女性が小さな子どもを足元で遊ばせながら商売をしている。年齢さえ意味を持たないような風貌の老人もいる。全くやる気のない表情でスマホをいじっている若者の姿もある。

買い物客もまた多様だ。レストランの仕入れ担当らしき人物が食材を吟味している。卸売業者風の男が同じ品物を大量にまとめ買いしている。家族連れの個人客の姿も多い。皆、表情は明るく、市場全体に活気がみなぎっている。

その時、突然、地割れのような雷鳴が轟いた。数秒後、市場の屋根を押し潰す勢いで豪雨が空から落ちてきた。店の売り子や来場者の声がかき消されるほどの音量だ。

しかし多くの人たちは、しばらく何事もないように商売と買い物を続けている。

市場にたった今到着した人や、たまたま通りかかった人たちが、雨宿りに建物の中へ入ってくる。ドアがあるわけではないので、品々の向こうの入り口付近に雨宿りする人の濡れた頭があり、そのさらに向こうに降り止まない雨が広がっている。

気がつくと、入り口付近の通路が完全に水浸しになっている。市場のすぐ外側で、おそらく許可を得ずに商売をしていた簡易的な屋台は、店を一時的に撤収していた。足元が水没し、この豪雨の中で客が来るとは思えないのだろう。しばしの休憩といったところか。

雨は降り止まない。市場にいた猫が、諦めたような表情で、台の上に寝転んであくびをしている。

豪雨が長引いているからか、市場の中には、わずかに手を休め、入り口の外の空を見ている人も増えてきた。

30分ほどが経った。雨脚はさほど弱まっていないのに、数人の男たちが、レインジャケットも着ないまま、もう待ちきれないという様子で動き出す。荷台に縛りつけた大量の荷物をビニールシートで雑に覆って、スーパーカブにエンジンをかけている。

バイクのタイヤの一部が完全に水没するほど、雨水が溜まっている。近くの側溝が溢れているのかもしれない。

それから30分ほどで、雨が突然止んだ。燃料切れのような、唐突感がある。

半ばフリーズしていた市場の営業と来場者が、映像の再生ボタンが押されたかのように、ゆっくりと動き出す。平常に戻ったように、買い物を再開する人、荷物を持って家路に着く人、新たに訪れる人たちが交差する。売り子たちは、天井の雨漏りの水に濡れた品々を拭くでもなく、商売に戻っている。

撤収していた場外の屋台は、すでに再開している。

道路がまだ完全に水没している以外は、市場はほぼ降り始め前の姿に戻っていた。人々も笑顔になっている。

建物の外に出ると、雨上がりの空には少しだけ夕焼けが始まっていて、吹き抜ける風は数度温度が下がっているのが肌でわかる。ここから、またゆっくりと夜が始まるのだ。やはり食材は買わずに、夕食は近所の安食堂で済ますことにして、手ぶらで大通りに向かって歩き出した。