北東北に友人夫婦が住んでいて、数年に一度、ふらりと訪ねている。東京を拠点にしていた頃は、東北新幹線か東北自動車道をひたすら「北上」した。仙台を過ぎる辺りから、周囲の空気が明らかに変化していく。新幹線なら乗客が減り、車なら高速道路沿いの植生が荒々しく見えてくる。北へ向かっている——そんな感覚が確かにあった。
ところが札幌に住み始めて、すべてが逆転した。道南へ出て、津軽海峡を渡る「南下」の旅になったのだ。目的地は同じなのに、移動の方角が真逆になった。
ただの言葉の違いだろう、と言われたことは何度もある。しかし南から来るか、北から来るかは、思いのほか大きな意味を持つ。
北上して友人宅を訪ねるとき、そこは紛れもない北の土地だった。そのはるか先には、辺境と呼ばれるような地域や国境が続いている。冬の厳しさや、都市から離れた暮らしの手触りさえ容易に想像できた。一方、南下して降り立つときは、まるで印象が違う。そこは「より温暖な土地」であり、東京へ続く途上の一点でもある。気温だけ考えても、札幌と比べれば南国に近いと感じることもある。
場所は同じなのに、どちらから来たかで土地の意味が変わる。自分の立ち位置と視線の移動が、認識そのものを規定するのだ。
この感覚は、日本からヨーロッパへの旅でも現れる。たとえばパリやロンドンへ向かうとき、直行便か経由便かに関わらず、どんなルートで到達するかで、目的地が帯びる色彩は異なってくる。北回りのルートを選べば、北極圏の凍土を越えて文明の中心へ辿り着く感覚がある。南回りなら、熱帯の湿気を通り抜けて、涼やかな石造りの街へ入っていくイメージを抱く。どのルートで入るかによって、その街が自分の中で占める座標がずれていく。
日本語の「北上」「南下」という言葉は興味深い。同様に英語では、移動の方向性と相対性を端的に示す「-bound」という接尾辞がある。北行きならnorthbound、南行きならsouthbound。単純だが、視点の所在を明確にする便利な表現だ。
昨今、頻繁に耳にする「インバウンド」もその類である。inboundは「入ってくる」という意味なので、あくまで受け入れる側の視点に立つ。訪日旅行者たちは自国を「出てきた」わけだから、本来はoutboundである。自分たちをinboundだと考えている旅行者はいない。
だから、もし「Welcome, inbound travelers.」という看板があれば、そこには奇妙な矛盾が生じることになる。迎える側の論理で書かれた言葉が、迎えられる側への呼びかけにそのまま使われる。視点が交錯し、ねじれてしまうのだ。
この矛盾は些細なことかもしれない。しかし、私たちがどこから見ているのかという問いは、案外、私たち自身が何者であるかという問いと地続きなのではないだろうか。あらゆる認識は、見る者の立ち位置に依存している。
次はどこへ向かうか。どの方角から、どんな視線で、その場所に入るか。そう考えることで、旅の意味は決定的に変わっていく。そろそろ次の北東北行きのルートを考えようと思っている。Google Mapの画面を回転させて、これまでに見たことのない方向から目的地を眺めるのも楽しいかもしれない。
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