東行きの道東自動車道が南富良野あたりに差し掛かると、降雪が激しくなってきた。11月の山間なら当然の光景だと思いながら、私はステアリングを握る手に少し力を込める。

高速道路といえど追い越し区間を除けば片側一車線で、対向車線との間には、背の低いフェンスかセンターポールが立てられているだけだ。大型トラックがサイドウィンドウのすぐ脇を走り抜けていく。荷台には獲れたばかりの牡蠣を積んでいる車両もあるかもしれない。トラックは札幌へ、東京へと向かうのだろう。私はその流れに逆らって、産地の厚岸を目指している。

目的地は厚岸の「牡蠣まつり」である。新鮮な牡蠣を食べるだけなら、高速の通行料とガソリン代を考えると、札幌で買ったり食べたりした方が安い場合もある。流通網が発達して、配送や宅配の手配も手軽だというのに、私は「食べ物を獲りに行く」という行為に惹かれて、産地の厚岸に向かうことにしたのだった。

厚岸周辺に着くと、山間の荒天が嘘のように晴れ上がっていた。気温は一桁だが、風は穏やかだ。町外れの公園にイベント会場が設けられ、地元の水産業者がテントを並べている。厚岸産の牡蠣、アサリ、ホタテが蒸し焼き、炭火焼き、生食用として売られていた。

来場者の大半は地元の家族連れのようで、まるで春の花見のような雰囲気だった。それぞれ公園内のスペースを確保し、持参した、あるいはレンタルしたグリルで食材を焼いている。ビールの缶が開けられ、笑い声も響いている。

私は観光客あるいは闖入者として、調理済みの牡蠣、アサリ、ホタテを購入して食べた。炭火で焼かれた牡蠣から湯気が立ち上る。磯の香りが鼻をくすぐり、口に含むと、濃厚な旨味が広がる。そこにあるのは、全ての人間が、同じ味覚と幸福感を共有しているという、不思議な一体感だった。

結局、口にしたのは四、五個程度だった。もっと食べられたが、目的は量ではないのだ。味は、信じられないくらい新鮮で美味い。あらゆる食材が自然につながっているように感じる。何度も、ああ、と感嘆と充足のため息をつきながら、以前に、道内の漁港で漁師から聞いた言葉を思い出す。

「北海道は魚介だ!って言っても、良いものは全部、まず札幌や東京に運ばれるんですよ。そっちの方が高く売れるから」

やはりそうか、と相槌を打つと、漁師は笑いながら付け加えた。

「でも、本当に旨いものは地元で俺たちが食うんだけどね。まあ、人には言わないけど」

厚岸から西へ向かう帰路、再び雪に降られた。ワイパーが規則的に動き、視界を確保する。私は先ほど味わった牡蠣の記憶を反芻しながら、時間と距離の向こう側には、確かに「本当に旨いもの」が存在していると実感する。

往路では、物流を逆向きに辿り「食べ物を獲りに行く」のは、狩猟採集の生活に少しだけ近づく行為、などと無駄に難しいことを考えていた。半ば雪に閉ざされた車内で、運転に少し飽きていたからか。実際には、話はもっと単純だ。それがどこであろうと、美味いものがあるところにただ、行く。そうして人は移動し続けるのかもしれない。少なくとも自分はそうするんじゃないかと思っている。