世界のどこにいても、中華料理に助けられてきた。

和食は好きだが、国外で特段恋しくなることはあまりない。私が旅を始めた学生のころ、たとえ大都市でも日本食レストランは稀で、あったとしても高級店ばかりだった。コストを気にする若者には縁のない世界で、その感覚は今もあまり変わらない。近年は寿司もラーメンも世界中で手に入るが、よほどのことがない限り手を出さない。そもそも日本にいても、毎日食べているわけではないのだ。

それでも、バターやオリーブオイルの食文化圏を一週間も彷徨えば、身体がさっぱりしたものを求め始める。醤油の塩気、魚介の出汁、炊きたての米、味噌の発酵香など。懐石料理のような洗練ではなくて、もっと素朴な、いわゆる「アジア飯」の風味が恋しくなってくる。

そんな時はいつも、中華料理が最強の味方だ。

世界中で中華料理店は驚くほどあらゆる場所に存在している。高級店だけでなく、気軽に入れる店も多い。パリやニューヨークなどの大都市に中華街があるのはもちろん、思いもよらない国の街角にも必ずある。バルバドスのブリッジタウン、南アフリカのケープタウン、ノルウェーのトロムソ、ホンジュラスのテグシガルパ。例を挙げればキリがない。「次の角を曲がったら北京酒店があったりして」と冗談めかして言った瞬間、本当に「香港餐廳」という繁体字の看板が目に飛び込んできた。そんなことが何度もある。

これは数百年にわたる中華系の人々の移住の歴史が生んだものだろう。乾物や調味料の流通ネットワークが地球規模で構築され、現地の人々に受け入れられ、安定した需要が生まれ、店が根づいてきたのだ。

そうした店で私が必ず注文するのが、蛋菜炒飯(エッグアンドレタスチャーハン)と酸辣湯(サンラータン)だ。

蛋菜炒飯は卵とレタスだけのシンプルな炒飯で、中華の米料理の基本形のひとつ。酸辣湯は四川省発祥の、酢とラー油が効いた酸っぱ辛いスープ。英語で「ホットアンドサワースープ」である。どちらも定番中の定番なのは言うまでもない。

この組み合わせを選ぶようになったきっかけは、香港にゆかりのある旅のパートナーの一言だった。「豪華な料理は油が多い。基本的な料理なら外れがないし、素材の味がよくわかる」

たしかに、蛋菜炒飯はシンプルなだけに、米の質、油の香り、卵のコク、レタスの鮮度が直に伝わる。酸辣湯は、酸味と辛味のバランス、酢や香辛料の個性が明瞭に現れる。このふたつを食べれば、アジア飯の充足感を得ると同時に、地元の食材と料理人の腕を舌で確かめることができる。地域によって味わいが微妙に変わるのも面白い。同じメニューでありながら、それぞれの街にしかない表情を見せる。そうした違いが、土地の記憶と結びついていく。

旅人にとっての中華料理の強さは、どんな素材も取り込む包容力のある味わいもさることながら、「食べる人の胃袋を満たす」という明快な哲学だろうか。疲れた身体に懐かしい風味が染み渡るとき、ただほっとする。そしてそれが、旅を次のステップに進める力になるのだ。

日本の中華料理店でも、もしメニューにあれば、このふたつを頼んでしまう。店員が麻婆豆腐や餃子を勧めてくることもあるが、その二品がやはり定番だ。そしてこれからも、まだ見ぬ街角で、また新しい蛋菜炒飯と酸辣湯に出会い、助けられるのだと思う。旅というのは結局のところ、食でつながっているのかもしれない。