20世紀の終わりが見えてきた頃、私は都内のアパートから週に一度、埼玉の浦和まで英会話講師のアルバイトに通っていた。派遣型のスクールに所属し、浦和駅からバスで30分ほどの住宅地にある集会所で、毎週10人ほどの小学生に英語を教えていた。片道1時間半の移動は決して楽ではなかったが、緑の多い郊外へ向かう道のりは、都心の喧騒から離れる小さな逃避でもあった。
梅雨入りしたある週、本部から連絡があった。次回のレッスンに、スコットというアメリカ人講師が同行するという。半年に一度、契約している外国人講師を各クラスに派遣し、子どもたちにネイティブの英語を体験させるのがスクールの方針だった。
当日は朝から激しい雨が降っていた。池袋駅の改札で、私は初対面のスコットを待った。スマートフォンもインターネットもない時代、ターミナル駅での待ち合わせは勘と直感が頼りだった。
約束の時刻を少し過ぎて、40歳前後の小柄な白人男性が現れた。安物のシャツは肩口まで濡れ、ズボンの裾から水が滴っていた。傘は持っていない。疲弊した表情、薄くなりかけた髪、投げやりな歩き方。彼からは、人生に疲れ果てた者特有の空気が漂っていた。
混雑する山手線と京浜東北線を乗り継いで浦和へ向かう間、車内は蒸し暑く、窓ガラスが曇っていた。簡単な挨拶を交わすと、スコットは不満を吐き出し始めた。
日本の梅雨がどれほど耐え難いか。自分は生まれてこのかた傘という原始的な道具を使ったことがないこと。公共交通に冷房がないのは非合理的だということ。東京という都市がいかに非効率で、アジア全体がどれほど後進的であるか。彼は英語で淀みなく語り続けた。
私は黙って聞いていた。東京や日本への評価そのものより、ネイティブが不平を述べる際の語彙と言い回しに興味があった。「なるほど、こういうアメリカ英語の表現を使えば皮肉が効果的に伝わるのか」と。
浦和駅前のバス停には長蛇の列ができていた。大雨でバスは遅れていたが、何とか開始時刻には間に合いそうだった。
ようやく到着したバスは超満員で、乗客のほとんどが濡れた傘やレインコートを抱えていた。密閉された車内に湿気が充満し、窓は完全に曇っていた。バスに乗り慣れた地元の人々でさえ顔をしかめている。それから30分は、誰にとっても試練だった。
隣のスコットは額に汗を浮かべ、目を血走らせていた。やがて彼の不快感は限界に達したようだった。彼は私の方に身を寄せ、耳元で囁くように言った。
「どんな手を使ってでもいい。チャンスを見つけて、一刻も早くこの国から逃げ出せ。世界にはもっとましな場所がいくらでもある。地獄だ。最悪だ。今すぐ脱出して、自分の人生を切り開くんだ……。俺もすぐにアメリカに向けて出国する」
真っ赤な顔で、彼は本気だった。
その瞬間、私は数週間前に見たハリウッド映画のシーンを思い出した。戦火の首都から、主人公が援軍のヘリコプターで命からがら脱出するシーンだ。「あなたにとって日本はそんなに酷いところなの?」 心の中でそう呟くと同時に、私は吹き出してしまった。スコットは怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
あれから数十年が経った。私はその後、修学や仕事で世界各地を訪れた。パリの地下鉄で2時間立ち往生したこともあったし、バンコクのバスで冷房が壊れて気を失いかけたこともあった。ニューヨークの夏の地下鉄の悪臭も、ロンドンの冬の交通麻痺も経験した。浦和駅発のバスよりも過酷な移動手段は、今でも世界中に数えきれないほどある。
スコットは今、健在なら70歳に近いはずだ。その後の人生で、彼は傘を買っただろうか。もし彼が今日本を再訪したら、何に驚き、何に失望するだろうか。少なくとも鉄道やバスには冷房があるし、世界で最も正確な天気予報で雨雲の動きも把握できる。彼が必死に脱出しようとした国は、あの頃より少しは居心地の良い場所になっているはずなのだが。
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