物理は最も苦手な科目だったが、あの先生のことだけは好きだった。

期末試験で問題文の意味すら理解できず、私は解答欄に「電子が互いに反発するのは、子供が家を離れたり、恋人同士が別れたりするのと同じような力が働いているからではないか」と、無関係な駄文を綴った。答案が返却されると、余白に赤ペンでこう書かれていた。「概ね、合っています」。点数は20点だった。

その先生は生徒たちにあまり人気がなかった。物理オタクといった風貌で、授業での説明も抽象的で哲学的に傾きがちだったからだろう。今になって思えば、彼はおそらく理論物理学を専門にしていたのだと思う。

私は授業の内容にはついていけなかったが、彼の頭の中がどうなっているのか、日々何を考えて生きているのか、なぜあれほど独特の語彙を操るのか、そういったことに惹かれていた。授業そのものは、私にとってそれなりに楽しい時間だった。

ある日の授業でビッグバン理論が取り上げられた。宇宙は「空間そのものが高温・高密度の状態から一様に膨張し始めた現象」から始まったという、宇宙の起源を説明する理論だ。その日、先生の話しぶりはいつにも増して熱を帯びていた。

一般相対性理論、量子力学、理論物理学の意義。話は教科書の範囲を大きく逸脱し、大半の生徒は興味を失っていた。私はほぼ理解できなかったが、「観測的な証拠を説明し予測するための理論モデル」というものの存在を知り、頭のいい人間はこうやって世界を理詰めで解釈するのかと感心した。

そのとき、クラスの秀才グループの一人が手を挙げた。授業を教科書の内容に戻してくれという意思表示が込められた口調だった。

「この宇宙がビッグバンで誕生したのなら、ビッグバン以前には何があったんですか?」

先生はすっと顔を上げて、静かに答えた。

「『ビッグバン以前に何があったか』という問いは、我々の宇宙の枠組みである空間・時間・存在を超えていて、論理的に成立しません」

質問した生徒だけでなく、クラス全体が「わからない」という顔をした。

「つまり、何もなかったということですか?」

秀才君が食い下がると、先生は続けた。

「『ある』『ない』というのは、この宇宙における概念です。ビッグバン理論によれば、空間と時間そのものがビッグバンとともに始まったとされます。『存在する』『存在しない』という概念も、空間や時間があって初めて意味を持ちます。空間がなければ『どこにある』も成立しないし、時間がなければ『いつある』も成立しません。したがって、『存在』や『無』という概念自体が、ビッグバン以降の宇宙の枠組みの中で初めて意味を持つのです。『ビッグバン以前』は、ビッグバン以降の宇宙で生まれた我々の言語や論理では表現できません。つまり、『何もなかった』のではなく、『何かあったか、なかったか』という問い自体が意味を持たない――問いの枠組みが成立しない状態であると理解すべきです」

教室は静まり返った。誰も反論しなかったし、誰も理解した様子もなかった。

数十年が過ぎた今も、あの日の教室で聞いた「問いの枠組みが成立しない」という言葉は、私の中で静かに響き続けている。物理の知識はほとんど残らなかったが、「世界をどう捉えるか」という視点だけは、確かにあの先生から受け取ったのだと思う。

近年、インフレーション理論やループ量子重力理論といった、ビッグバン以前を探る新しい仮説が現れている。もし今、あの先生がそれらについて語るとしたら、どんな言葉を選ぶのだろうか。彼はきっと、また私たちの理解を超えた何かを、淡々と語るに違いない。