世界のどの国や地域が一番好きか、と尋ねられることがあるが、もちろんそんな大雑把な質問に答えはない。ただ、訪れる前も滞在中もその後も、妙に気になる土地というのはある。その一つがコーカサスである。私を惹きつけるものがその文化か、歴史か、人々か、はたまた気候か、地勢か、食べ物かは、よくわからない。もしやDNAに刻まれた遠い記憶にこの土地が関係しているのか。などと根拠のない思いさえ抱きつつ、ときおり不思議な既視感を覚える景色が広がるコーカサス、アルメニア共和国を歩いた。

「エレバンでは水道水が飲めます」

陽子さんがそう言って、エレバン中心部の共和国広場の近くにある公共の水飲み場で、ごくりごくりと水を飲んでいる。彼女は「陽子」という日本名の愛称を持つアレブさん。日本語が堪能なアルメニア人で、今回のアルメニア旅で各地の案内をお願いしている方だ。

へぇ、そうなのか、と私も続いて水を飲んでみると、確かに臭みもなく味もクリアで、天然水のようなさわやかな喉越しである。水源の一部は湧き水らしく、地域によってその水質は少し違ってくるそうだから、実際にこれは「ご当地天然水道水」なのである。在アルメニア日本大使館発の情報には「水道水は歯磨きや調理には使えるが、飲用にはミネラルウォーターが無難」とあるが、疑い深い旅人の舌と喉をもってしても、十分に飲用に耐えられるクオリティに感じられる。水道水を安心して美味しく飲める国は良い国だ、と思っている。しかし実際にはそんな国や首都は世界に多くはない。アルメニア、エレバンが数少ないそんな街の一つであることが、とても嬉しい。

5年ぶりのアルメニア

アルメニアを訪れるのは2014年以来である。前回はジョージア(当時はまだ「グルジア」と呼ばれていた)の首都トビリシから乗り合いのバン、マルシュルートカで地元のおじさん、おばさんたちとともに6時間ほどかけて陸路を移動した。あのときはグルジアとアルメニアの国境でいろいろあったなぁ(アライバルビザの担当者が腹痛で家に帰ってしまっていなかった、入管に「アゼルバイジャンには行ったのか?行くのか?」などと詰問された、とか)、と振り返るが、何かと変化の大きいこの時代。5年も前の出来事は遠い昔のことのようでもある。特に今回はモスクワからアエロフロートで空路、首都エレバンのスヴァルトノツ国際空港に極めてスムーズに(それもビザ免除で)入国したために、その思いはなおさらだ。

改めて、黒海とカスピ海の間にあるコーカサスのアルメニア共和国の概要をお伝えしておこう。トルコの東、ジョージアの南、アゼルバイジャンの西、そしてイランの北、といえばよりその位置がわかるだろうか。旧ソ連の構成国であり、かつての広大な連邦領域においては西南端のさらに隅っこ、といえる場所である。現在、九州よりも少し小さい国土に約300万人が暮らしている。世界で初めてキリスト教を国教とした国であり、長い歴史の中で独自の言語と文字を含む文化を持っている。国民の98%がアルメニア人という民族構成(愛国心の強さにつながっている)が特徴的で、さらには国外に約700万人のアルメニア人がいてその結束力は強く(民族意識が高いとされている)、全世界で人口約1000万人のアルメニア人の国がある、と言われることもある。

カスケードとエレバンの街

宿泊先はエレバン中心部の高台に建つRadisson Blu Hotelである。エレバンでも一、二を競う現代的なホテルで、市内の見どころの一つ「カスケード」と呼ばれる巨大な階段状の建造物と、その上の展望台に建つ「ソヴィエト・アルメニア樹立50周年記念碑」が歩いてすぐだ。寡黙だが実直でフレンドリーなフロントスタッフに好印象を持ちつつ、部屋で簡単に荷を解くが、外の天気は大快晴である。さっそく展望台に向かってみることにした。そびえ立つ巨大な記念碑を見上げてふと思う。旧ソ連とアルメニアの関係50周年碑ということは、これはおそらく1970年代初めに建てられたものだろう。

ロシア周辺では現在、ロシア(および旧ソ連)離れを国策とする国々も多く、この類のモニュメントが順次あるいは徹底的に撤去されるケースがある。が、このアルメニアではこの碑が今もそのままである。むしろ街のシンボルとして昔と変わらぬ威容を放ち、大切にされているようにも見える。それが国内と地域内の政治・経済におけるアルメニアの独自の立ち位置を示すものなのか、あるいはこの地に数千年続く都市として、数十年前の出来事は歴史のごく一部であってその是非を振り返らないという寛容さ・鷹揚さの結果であるのか。一介の旅人に答えはすぐにはわからないが、そんなことをじんわりと考えるのもまた、長く複雑な歴史に彩られるコーカサス、アルメニアの旅ならではである。

展望台からはエレバンの美しい街並みを一望できる。中心部はしいていえば東ヨーロッパの都会のようであるが、各所に美しい薄ピンクや茶色の建物が建っていることが印象的だ。それらは火山活動で作られたトゥフ(凝灰岩)の石材で作られた建物で、その独特の美しさと数の多さから、エレバンを「石の街」「バラ色の街」などと表現することもあるという。街全体では小アジア・中央アジアやロシア(旧ソ連)経済圏の影響と思われるテイストも各所に感じられる。公園や街路樹の樹木が豊かで、街全体が緑で覆われているような光景が美しい。エレバンは街として紀元前8世紀ごろからの記録が残っているそうで、現存する「世界最古の都市」の一つとされている。ガイドの陽子さんによると、この地には創世記(旧約聖書の最初の書)にある「エデンの園」が存在していたという伝承もあるというから、ここに流れる時間は実に悠大である。

アララト山に圧倒される

エレバンとアルメニアを代表する「絶景」の一つが、この展望台から首都の全景越しに臨む大アララト山(5,165m)と小アララト山(3,925m)である。雪を抱く山頂の形状と周辺の美しさが超絶であるだけでなく、日本人的な感覚からは、「小」とされる山が富士山より高く、さらに5,000メートル超の「大」単独峰が目の前にそびえ立っている、というサイズ感に強烈なインパクトを感じる。超がつくような巨大なものを見て、リアルな空間的意識を拡大するのは旅の醍醐味の一つである。ここではそれを首都のど真ん中で楽しめる。

大アララト山山頂付近は、(またもや)創世記に登場する大洪水で「ノアの箱舟」が流れ着いたとされる場所である。一般的な情報として「伝説の場所」とされるべきものが、現地の案内では「紀元前の大洪水で方舟が実際に流れ着いた場所」と言明されているあたりは、さすが世界最古のキリスト教国である。ちなみに、エレバンと周辺地域のどこからもアララト山は臨めるが、時刻や日の光の違いによって、その美しく艶やかな姿を刻々と変えていくことをお伝えしておきたい。一方で、近年の気候変動と大気汚染などにより、以前よりも空気が霞む日が多く、アララト山が見えにくい日も増えてきていることも付け加えておく。

カスケードの長い階段を降り、エレバン市内中心部を歩いて移動して、共和国広場にたどり着いた。石畳の大きな広場を中心に時計台や歴史博物館など荘厳な建物が並び、周辺にはおしゃれなカフェやレストラン、ショッピング街などが取り囲んでいる。まさに古くから人が行き交う歴史ある街の中心、という風情である。豊富な水をたたえる噴水と夜間のライトアップも必見である(冒頭の公共の水飲み場があるのも、この付近である)。近くのカフェでぼんやりコーヒーを飲んでいると、地元の方々には失礼ながらも、「これほど穏やかで美しい都会が、こんなところ(コーカサス、アルメニア)にあったのか…」としみじみ感じ入った。

市内にはマテナダランと呼ばれる古文書博物館がある。キリスト教やアルメニア正教会に関連した各種の聖書・古文書が展示されており、宗教にあまり興味がなくても、知識と芸術面からアルメニアとエレバンの歴史を理解するための鍵を見つけられるかもしれない。

エチミアジンで見る「ノアの方舟」

さて、エレバン郊外の見どころに足を進めることにする。最初の目的地は首都中心部から20キロほど離れた街、エチミアジンにあるエチミアジン大聖堂である。車で1時間弱かかるが、道中の郊外はのんびりとしたもので、途中からの車窓は見渡す限りの原野になる。幹線道路はかなり整備されていて、交通量は近年増加傾向にあるものの、渋滞はほぼなかった。大聖堂はアルメニア正教の総本山で、創建は西暦303年。それにさかのぼること117年の街の創設時にはアルメニアの首都が置かれていたそうだから、ここは聖地であり古都なのである。重要な歴史ある場所、と言っても、穏やかで庶民的な雰囲気もあり、敷地内には多くの人たちが三々五々、ベンチで話し込んでいたり、静かに大聖堂(現在、修復工事中である)の絵を描いていたりする。

敷地内には宝物館があり、「ノアの方舟の破片」や「十字架にかけられたイエス・キリストに刺さった槍の一部」などが何気なく展示されている。一瞬、「こ、これが本物なのか」と、目の前にある事実を完全に理解することを諦めてすぐに通り過ぎようとするが、周囲にいる各国からの来訪者らが熱心にそれらを写真に収めているのを見て、改めて細部を見直したりしている自分である。大聖堂から数キロ圏内にはリプシメ教会やスヴァルトノツ遺跡などがあるので、そちらにも足を伸ばすのがおすすめだ。それぞれキリスト教の教会とその遺構だが、いずれの場所からも絶妙な角度でアララト山が遠望できることが感慨深い。

郊外旅の途中にカジュアルな雰囲気の良いローカルレストランで、食事をとる。鶏肉と豆料理のマラシュなどのローカルディッシュが、いかにも手料理といった感じで提供される。ポーションは大きく、サービスは丁寧で、テラスのテーブルと席にはさわやかな風が吹き抜けている。旅先の食事にこれ以上の何を求めるのか、思わずそう唸ってしまう世界である。サラダをはじめとする野菜が新鮮で味がしっかりとしていることが、舌の記憶に残る。案内役の陽子さんは、ここまでの史跡で複雑で濃厚な歴史のストーリーを実に詳しくわかりやすい日本語で説明してくれたのだが、レストランなどで地元料理の説明をするときは、さらに楽しそうである。アルメニア人のローカルフードへの愛着と自信が伝わってくるような気がした。

ゲガルド修道院とガルニ神殿へ

日が変わり、エレバンから約35キロ離れた、ゲガルド修道院とガルニ神殿に向かう。車で約1時間半弱かかる距離である。道中、沿道は「荒野」と呼べるような光景と崖や谷が迫るワイルドなエリアが続くが、やはりどこにいても角度を見定めればほぼいつでもアララト山が遠望できることが、不思議さや美しさどころではなく、人智をはるか超越したとても神聖なことのように思えてくる。ゲガルド修道院は洞窟修道院とも呼ばれる、13世紀にアルメニアのキリスト教徒と石工が岩を掘り抜いて造ったもの。険しく急な岩肌の渓谷の奥に建てられており、エリア全体から壮麗さと厳格さが感じられる。ここに来るまでの悪路とその距離を思い出しながら、この修道院創建時の壮絶であった(であろう)作業や労苦、さらにはその後の修道者の厳しい修行をイメージしてみるが、車であまりに容易く来てしまった自分と周囲の無数の観光客の軽快な表情から、うまく想像できない。

本来、このような異境・異界にあってこそ、その意味があるはずの修道院そのものの存在が、「観光地化」によって明らかに曖昧になっているのが残念である。ここは世界遺産にも登録されているというが、旅行や観光の意味と価値について少し考えさせられる状況である。駐車場に入りきれない車と、修道院入口付近に並ぶ露天商と、そこで楽しげに買い物をする観光客を見ながら、ここにはもっと静かなときに来たかったと思うのは、勝手すぎるだろうか。

エレバン方向に6キロほど戻ったところにはガルニ神殿がある。紀元前3世紀に築かれた、アルメニア王の夏の離宮。17世紀の地震でほぼ崩壊したものが、1976年に再建された。周辺も美しく整備されていて、神殿の中で修学旅行か遠足の小学生らが伝統的な楽曲を合唱していた(神殿内の空間は音響効果が高い)のが記憶に残る。こちらも世界遺産に登録されている。神殿の下に広がる渓谷は壮大で美しい。

車で回る郊外の「観光地」的な場所の締めは、エレバンから東約60kmにある標高約1,900メートルのセヴァン修道院とセヴァン湖である。セヴァン湖はコーカサス最大の湖で、最大水深は約82メートル。夏でも水温は20度に届かないという。湖底から採取したという鮮やかなグリーンやブルーの石のかけらが、駐車場に立つ簡易的な露天(トラックの荷台など)で数百円で売られている。アルメニア人の物売り特有の謙虚さなのか、偽物売りの後ろめたさなのかは判断がつかなかったが、売り手があまり押し付けてこない。ガイド役の陽子さんが「石は本物です」というので、普段は買うことがほぼない露店の黒曜石を一つ、土産として買ってみた。値段は100円ちょっと。その本当の価値は今でもわからないが、それで良いのだろう。

再びエレバンで

郊外の歴史・宗教関連中心のアルメニア探訪となってしまい、そちら方面で少々お腹いっぱいになったところで、エレバン市街にあるNORブランデー工場や24時間営業のスーパーマーケットに出向き、旅の雰囲気を変えてみた。もし週末であれば、その流れで共和国広場近くで開催されるヴェルニサーシュ野外マーケットにも足を伸ばすのがいいかもしれない。街歩きの楽しさと、さっぱりとした(しつこさのほぼない)売り手の姿とショッピングを堪能できるだろう。(参考までに、エレバンから車で1時間ほどの距離に標高約2,000メートルのヅァッカゾール・スキーリゾートがある。シーズンが合えば、旅先の良いアクティビティとなるかもしれない)。

エレバンの街中で、通りを行く人たちを眺めながら、都会の暮らしは世界のどこもどんどん共通化していることを改めて感じる。このアルメニアももちろん例外でなく、若い人たちは風貌やファッションもどこか西欧化しているように見える。陽子さんによると、最近は整形手術も一般的で、多くの人が(伝統的なアルメニア人の外見の特徴を強調するより)広く一般的に理想とされる外見に近づくことを意識する傾向があるそうだ。また、周辺国(ジョージア、トルコ、イランなど)と気軽に行き来できる環境が以前より整備されつつあり、徐々に人的往来と交流も増加しているという。歴史的に軋轢のあるトルコ(第1次世界大戦中にオスマントルコ帝国によりアルメニア人150万人が殺され、アルメニアは近代史で最初の大虐殺としているが、トルコ側は戦争による戦闘の結果であり虐殺ではなかったと主張している)やアゼルバイジャン(宗教の違いや領土問題などで長年対立している)とも近年、関係改善が一部進んでいるそうだ。これだけ歴史のある土地でありながら、新しい時代の新しい世代を中心に、新しい価値観が生まれてきているのだろう。旅人の目にも、ここでは歴史が未来につながっていることが少しわかる。このエレバンは、こうして紀元前から様々な人々が行き交う街として、ゆるやかな進化を遂げながら存在しているのだ。それはこれからも変わることはないのだろう。

アルメニアの旅は、穏やかな時の流れに身を委ねる体験だ。スケールの大きな時間軸で様々なものを見聞きでき、ここにしかない空気に触れることができる。人々は概ね穏やかで、どこかさっぱりとしている。そして旅人にあまり警戒心を見せないようにも思える。そのため、アルメニアでは、われわれ旅人にはさほど緊張感が求められない。それはこの土地に住む人々に、重厚な歴史と独自の文化に根ざしたアイデンティティがあり、それが良い形でプライドや愛国心につながっているからかもしれない。ここでは「来訪者はここにある長い歴史のごく一瞬である今を存分に体験すればよい」と言われたような気がした。揺るぎない自信があるからこそ、異邦人に寛容になれるのだ、と。それは旅人が受ける最高の歓迎ではないだろうか。

アルメニアのエッセンスに自分の価値観と重なるものがあるように感じたり、各所で「これはなぜか知っている」という既視感に近い思いがよぎったのは、実際にアルメニア人のアイデンティティと日本人のそれに共通するものが少なからずあるからか、あるいは遠い祖先がかつてここを通り抜けて嗅いだ土地の香りの記憶が自身のDNAに刻まれているためか、それとも良い時間を過ごした旅人の勝手な思い込みに過ぎないのか。その答えはわからない。しかしいずれの可能性も旅を楽しくさせてくれるには十分である。コーカサス、アルメニアには次、いつ戻って来られるだろうか。そんなことを考えながら、空路、エレバンを後にした。