私はときどき、大学の図書館に足を運ぶ。学生でも卒業生でも教職員でもなく、近隣に住む市民として利用を許されている。広々とした空間は静寂に満ちていて、一時的に集中するには便利な場所だ。試験期間を除けば、自由に出入りできる。
閲覧フロアの大半は、キューブ状のブースで仕切られている。隣に誰かが座っても気づかないほど、プライバシーは守られる。多くの利用者が黙々と資料を読み込んだり、何かを書いたり、静かにキーボードを叩いている。
来訪者には、年配の市民も多い。偏見に満ちたプロファイリングをすれば、彼ら・彼女らは概ね痩せ型、眼鏡をかけ、少し気難しそうな顔をしている。髪はやや長めの、いわゆる古風な学者タイプだ。専門書を山のように持ち込んでいることが多い。後ろ姿だけでも、賢くて少し神経質そうな雰囲気が伝わってくる。
ある日、私はブースに入り、資料とともに調べものをしていた。二十ほどあるブースの三分の一が埋まっており、学者タイプの後ろ姿もちらほら見かけた。誰もが自分に向き合うように集中している。そんなとき、学生らしき利用者がもう一人、そっと入室し、私の後方左側のブースに座った。椅子を静かに動かす音がしたかと思うと、右斜め前のブースから大きな咳払いが聞こえた。そして今度は、「ガタン」という大きな音が響いた。後方左側の学生がバックパックをデスクに落としてしまったのかもしれない。
その直後、右斜め前から大きな声がした。年配の男性の話し方だった。先ほど咳払いをした人物だろうか。姿は見えない。
「今、入室した君。君は今、いったいどんな心境でいるのか。ここは神聖なる図書館の自習室だ。そのような無神経で配慮のない音を立てて、平然としているのは許されることではない」
怒りを抑制しているような声だった。先ほど入ってきた学生は、自分に向けて話されているのかわからず戸惑っているようだ。声の主の姿が見えないので、他の利用者も、ただ事態を見守っている。男性の声は続く。
「君は、何かを落とすかぶつけるかしてその音を立てた。大変迷惑で不快な行為だ。自分が図書館で大きな音を立てることなどないと思っていたのだろう。しかし、それは起きた。今後はそんな過ちを起こすのを、一千回、いや一万回に一度にまで減らす努力をしてほしい……」
後方左側から、「カバン置いただけじゃん」と小さな呟きが聞こえたが、男性の耳には届いていない。
「……なぜなら、ここは図書館という神聖な空間だからだ。ここを訪れている者は、全員、学問を志す者だ。同じ、研究の徒として、そのことを忘れないでもらいたい」
その朗々とした言葉が正しいのかどうか、私には判断できなかった。図書館では物音ひとつ立ててはいけないのか。もしそうなら、それを大声で注意することは矛盾ではないのか。姿を隠したまま一方的に語るその態度にも、違和感があった。わからないことだらけなのは、私が、男性の言うような「学問を志す者」でも「研究の徒」でもないからかもしれない。
振り返ると、学生はすでにヘッドホンをつけて勉強していた。フロアには、何事もなかったかのような空気が戻っている。私は資料に目を落としたが、なかなか集中できない。あれほどの「神聖さ」を図書館に求めている人間がいるという事実に動揺していたのだ。
あれ以来、その図書館には行っていない。また訪れる日が来るかどうかは、わからない。自分は、図書館の静寂が、必ずしも穏やかなものではないことを知ってしまった。
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